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本興寺ではいただけません
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本興寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月17日(月)
参拝:2021年4月吉日
本興寺は、神奈川県横浜市泉区にある日蓮宗の本山の寺院(由緒寺院)。山号は法華山。
室町時代初期の1336年、日蓮の門弟「九老僧」の一人・天目が鎌倉(現・鎌倉市大町)に休息山本興寺を創建。1382年に日什が本興寺2世となり、山号を法華山と改めた。日蓮が辻説法をした由緒地にほど近いため、「辻の本興寺」と呼ばれた。のちに日什が開創した京都妙満寺を本寺とする日什門流(什門)の寺となった。
江戸時代に入り、什門はキリシタンと並び幕府の弾圧対象となったため、本興寺30世日顕は1660年に、日蓮ゆかりとする現在地(鎌倉郡飯田村)に寺基を移し法灯を伝えることとなった。当地は鎌倉街道上ノ道が通り、身延山に隠棲した日蓮が、湯治のために常陸国に向かう途中通ったとされる。また没後の遺骨も通過したとされる。なお、1670年に比企谷妙本寺の日逞により鎌倉の辻の旧地にも本興寺が再興されている。
当寺は、小田急江ノ島線・高座渋谷駅の東方2kmの小高い場所にある。境内北側に東海道新幹線の線路が通っている。江戸幕府の弾圧から逃れてきたこととも関連するのか、他の日蓮宗寺院と比べると木々が深い印象で、人里離れた感がある。その分、堂宇の数は少なく、サイズは若干小さ目か。境内は古巨木を含め草木は深いが非常に綺麗にされている。
今回は関東圏にある日蓮宗の由緒寺院ということで参拝。参拝時は週末の午前中、自分以外に参拝者は一人もいなかった。
室町時代初期の1336年、日蓮の門弟「九老僧」の一人・天目が鎌倉(現・鎌倉市大町)に休息山本興寺を創建。1382年に日什が本興寺2世となり、山号を法華山と改めた。日蓮が辻説法をした由緒地にほど近いため、「辻の本興寺」と呼ばれた。のちに日什が開創した京都妙満寺を本寺とする日什門流(什門)の寺となった。
江戸時代に入り、什門はキリシタンと並び幕府の弾圧対象となったため、本興寺30世日顕は1660年に、日蓮ゆかりとする現在地(鎌倉郡飯田村)に寺基を移し法灯を伝えることとなった。当地は鎌倉街道上ノ道が通り、身延山に隠棲した日蓮が、湯治のために常陸国に向かう途中通ったとされる。また没後の遺骨も通過したとされる。なお、1670年に比企谷妙本寺の日逞により鎌倉の辻の旧地にも本興寺が再興されている。
当寺は、小田急江ノ島線・高座渋谷駅の東方2kmの小高い場所にある。境内北側に東海道新幹線の線路が通っている。江戸幕府の弾圧から逃れてきたこととも関連するのか、他の日蓮宗寺院と比べると木々が深い印象で、人里離れた感がある。その分、堂宇の数は少なく、サイズは若干小さ目か。境内は古巨木を含め草木は深いが非常に綺麗にされている。
今回は関東圏にある日蓮宗の由緒寺院ということで参拝。参拝時は週末の午前中、自分以外に参拝者は一人もいなかった。
境内入口の<仁王門>。南向きに建っている。
仁王門に向かって左側に立つ<吽形仁王像>。
仁王門に向かって右側に立つ<阿形仁王像>。
仁王門からの境内の眺め。とにかく美しい!
何が美しいかと言うと、新緑や草花も美しいが、それは半端なく清められた<地面>。こんな綺麗な地面は見たことがないレベル。
(参道を歩いてください、と書いてあったので、改めて地面を見て気付いた...)
何が美しいかと言うと、新緑や草花も美しいが、それは半端なく清められた<地面>。こんな綺麗な地面は見たことがないレベル。
(参道を歩いてください、と書いてあったので、改めて地面を見て気付いた...)
参道進んで右側にある<水屋>。
参道突き当りの<本堂>。
本堂正面。軒と梁の細かい彫刻がきれい。
本堂の左手にある寺務所。御首題はこちら。
寺務所への道の左側にある<経蔵>(かな?)。
御首題をもらった後、もう一度、本堂を眺める。
ちょうどツツジが咲きはじめ。
すてき
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惣一郎1269投稿
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