ほうせんじ|臨済宗大徳寺派|永禄山
宝泉寺 寳泉寺のお参りの記録一覧
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【完成】永禄山 宝泉寺 臨済宗大徳寺派 ..神奈川県小田原市風祭918..
本尊 釈迦如来像..
永禄山宝泉寺は、永禄元年(1558)北条時長(宝泉寺大年用公)によって創建された臨済宗大徳寺派の古刹である。
寺は創建間もない、天正八年(1590)豊臣秀吉による小田原合戦の兵火に罹って堂宇は焼失し、その際数多くの寺宝が焼失してしまった。
その後三世の僧菊経によって再建されたが、のちに衰微し、十二世僧仁渓によって、安政元年(1854)再建された。
オンライン坐禅をZoomで配信している。
永禄山 宝泉寺(臨済宗大徳寺派)神奈川県小田原市風祭918
本尊 釈迦如来像
宝泉寺に着きました、入口です。
寳泉寺の縁起..
寳泉寺は、北条時長(宝泉寺大年用公)が開基となり、早雲寺二世勅諡東光智燈禅師を開山に迎えて永禄元年(1558)創建したといいます。
山門の扁額 「永禄山」奥に本堂が見えます。
本堂の前に大きな2本の木が・・
「絹本著色 北条時長像」普段は一般公開されていないが、初代住職の法事「開山忌」を行う4月22日(月)午後のみ観覧できるそうです
本堂..永禄山 宝泉寺 臨済宗大徳寺派
神奈川県小田原市風祭918
本尊 釈迦如来像
本堂屋根瓦の三つ鱗紋(北条家とつながりが深い)
寺は創建間もない、天正八年(1590)豊臣秀吉による小田原合戦の兵火に罹って堂宇は焼失し、その際数多くの寺宝が焼失してしまった。
その後三世の僧菊経によって再建されたが、のちに衰微し、十二世僧仁渓によって、安政元年(1854)再建された。
本堂を別の視線で
本堂から見える景色です。
境内風景
境内風景...6地蔵さん
檀陀地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障地蔵、日光地蔵などと呼ばれます。
境内風景
宝泉寺の由緒
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