そううんじ|臨済宗大徳寺派|金湯山
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楽しみ方早雲寺のお参りの記録一覧

金湯山 早雲寺(そううんじ, 臨済宗 大徳寺派, 1521年) 惣門, 本堂, 鐘楼, 庭園, 絹本淡彩北条早雲像(重文), 北条氏綱が開基, 本尊は釈迦如来





早雲寺の寺宝公開に行ってきました😊
早雲寺は戦国時代の武将北条氏綱が父早雲の遺命により、大永元年(1521)に創建した臨済宗大徳寺派の古刹になります。
小田原北条氏の菩提寺として栄えて多くの塔頭が建てられ、関東屈指の禅刹へと発展しました。
しかし、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際に占領され、本陣として利用されました。北条氏が降伏すると火を放たれ伽藍は灰燼に帰しました。早雲寺の再建は寛永4年(1627)方丈建立に始まります。
この日は2/15釈迦尊涅槃会、特別に涅槃図の前で焼香させていただき、その後、ご住職のご案内のもと本堂を巡りました。
お話によると、早雲寺は北条氏ゆかりの寺院であるだけではなく、『俳諧の聖地』であり『茶道ゆかりの名刹』でもあるとのことでした。いずれ寺宝の宝物館を作ってみんなが見れるようにしたいとも仰っていました。
以下、備忘録。
【本堂襖絵『龍虎図』】
神奈川県の文化財指定を受けている襖絵はここだけ。鎌倉にもないといいます。作者はわからないが、狩野派であるということは確か。虎の絵は「目ぬきの虎」といい、人間を襲わないように片目をぬいてある。
【方丈(本堂)】
殿内に掲げられた『方丈』の扁額は、東海道を上がってきた朝鮮通信使の金義信に書いてもらったもの。(惣門の額の書も同じ)
堂内が猿に荒らされる被害があり、普段は大戸を閉めている。以前、障子が破られてしまったという。幸い襖絵は無事だった。襖絵に何かあれば大ニュースになってしまう。また、襖絵の管理のため暖房が入れられないとのこと。
【寺宝】
早雲寺の寺宝は秀吉が占領した際に武将達に配ってしまった。秀吉が攻めて来る前に疎開させたものだけが残っているという。
【雪村周継】
常陸国出身の画僧。水墨画を描く。
天文19年に相模国を訪れ、早雲寺で開山、以天宗清の肖像画を描く。その名の通り“雪舟“を尊敬していて彼を意識して肖像画を描いたと思われる。現在、茨城県立歴史館で雪村展が開催されているので、機会があればぜひ見に行ってほしいとのこと。
・・・などなど。
他にもいろいろ貴重なお話や文化財を拝見させていただきました🙏
この寺宝公開は予約制で今年はあと3回です。御朱印はこの時でないと拝受できません。詳しくは箱根湯本観光協会のHPにあります。

惣門

『金湯山 朝鮮国 雪峯』
惣門の扁額。
書使として1643年〜1665年使節に参加した金義信(キムイシン)の墨跡。雪峯とは金義信の号。

おそらく朝鮮通信使の像だと思います。




太子堂

太子堂の裏にありました。

延命地蔵尊


中門

方丈(客殿)


連歌師宗祇の句碑
『世にふるは更に時雨のやどりかな』




『梵鐘』
県指定重要文化財。元徳2年(1330)鋳造。
豊臣秀吉が小田原攻めの時、石垣山一夜城で使用した。

『山上宗二(やまのうえそうじ)追善碑』
千利休の弟子。茶人。
豊臣秀吉に仕えたが、秀吉の怒りを買い浪人生活を送る。その後前田利家に仕えるようになるが、再び秀吉の怒りを買い高野山に逃れた後、小田原北条氏を頼った。
秀吉による小田原攻めが始まると、千利休の取り成しがあって早雲寺で秀吉と面会。しかし、親睦のあった亡き北条幻庵に義理立てしたため再び怒りを買い、耳と鼻を削がれた上で打ち首にされました。享年46歳。




『今大路道三の墓』
安土桃山時代、江戸時代の医師。
父より医術を学ぶ。幼少より徳川秀忠に小姓として仕え、16歳の時に後陽成天皇に拝して橘姓と今大路の家号を賜る。その後剃髪した。
寛永3年(1626)秀忠が上洛した際にともに上洛したが、崇源院(江姫)が重態に陥ったため治療を命じられ急ぎ江戸に向うも、道三自身も帰東の途上に発病し、箱根宿で死去し早雲寺に葬られた。



『北条五代の墓』
右から早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直。
この供養塔は、狭山北条5代当主、氏治(氏康の四男、北条氏規の子孫)が寛文12年(1672)8月15日に建立したものになります。
本来の墓の場所は、秀吉の軍勢に燃やされてしまってわからないそうです。
氏政とその弟、氏照の墓は小田原駅近くにもあり、後程そちらにも行きました。

『大真院殿秀山俊公居士』
北条氏次の戒名。
第五代当主・北条氏直の嫡男とされる方ですが、その実在は極めて疑わしいとのこと。仙台藩士・桑島政貫が桑島家の家祖・氏時は北条氏次の子であると称し、明治23年には墓を建立したとのこと。



『連歌師 宗祇の墓』
連歌とは、2人以上の人が和歌の上の句と下の句とを互いに詠み合って続けていく形式の歌のこと。
連歌師 飯尾宗祇(いいおそうぎ)は、文亀元年(1501)2月越後上杉氏の許を発ち、弟子宗長、宗碩らと関東各地で連句を催しながら、駿河、美濃に向かう旅の途上、翌2年7月30日箱根湯本で客死した。享年82歳。
弟子たちは宗祇の遺骸を担いで富士山の裾野、桃園の定輪寺に埋葬した。
早雲寺の宗祇の墓は、その後終焉の地に建てられた供養塔である。
多くの俳諧師や旅人が早雲寺を訪れて宗祇の墓に詣でました。

『稲津祇空(いなづぎくう)の墓』
江戸前期の俳人。大阪生まれ。
浅草を中心に江戸座の俳諧師として活躍したのち、早雲寺を訪れ境内に石霜庵なる草庵を結んで宗祇の墓守として晩年を送った。


『開山堂』
開山の大徳寺八十三世・以天宗清(いてんそうせい)像が安置されている。


『枯山水石庭』
早雲の末っ子で箱根神社の別当だった北条幻庵の作庭とされ「香炉峰」の銘がある。
しかし、調査によると江戸前期の作庭と推定され、戦国時代の庭園を江戸時代の再建時に現在のような石庭に整備したものと思われる。室町時代以降の禅宗式枯山水石庭は関東では極めて少なくとても貴重なのだそう。



虎の印『禄壽應穏(ろくじゅおうおん)』
2代氏綱の時代から北条氏の出した文書(朱印状)に押印されていた御朱印。上部に虎の伏した姿が刻まれる。
禄壽應穏とは、財産と生命がまさに穏やかであるようにと人々が平和で暮らすという願いが込められている。

受付時にクリアファイルを購入しました。他にもポストカードなどがありました。

虎朱印最中は小田原城で買ったものです。

箱根寺社巡り⑥
戦国武将北条早雲の子氏綱により創建された小田原北条家の菩提寺。立派な伽藍です。

総門(薬医門)

由緒書き


鐘楼

本堂

開山堂

本堂裏側の庭園

5:30過ぎに参拝しましたが、すでに境内の掃除をされていました。ご挨拶をしたうえで、参拝させていただきました。

苔の新緑に癒されました。


早朝から境内を綺麗にお掃除されていました。































箱根登山鉄道線「箱根湯本駅」下車徒歩10分。臨済宗寺院。ご本尊は釈迦如来です。
湯本温泉街から旧道沿いにある小田原北条氏の菩提寺。
1521年に北条氏綱が父の早雲の遺言により京都の大徳寺から以天宗清を招き創建されました。
当時は早雲寺を中心に湯本地区は寺町を形成されており、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際には、最初に占領され本陣としても利用されたそうです。
また境内には、晩年過ごした連歌師の宗祇のお墓があり、俳諧の人々がたびたび訪れたそうです。
訪れた2月15日は、お釈迦さまが入滅した「涅槃会」。普段は非公開ですが、寺宝の特別公開があり、方丈へのお参りや北条氏の寺宝、涅槃図などが公開されました。
この日の他に年4回特別公開が行われます。(箱根町観光協会のHPより)
禅寺らしく厳かな雰囲気で、歴史を感じる寺院でした。

旧東海道沿いにある「山門」です。




中門。ここから入ります。


小田原北条氏五代のお墓です。



本堂です。手前にある句碑は、連歌師の宗祇の句碑です。


本堂裏手の枯山水の庭園。高台の上に立っているのは「開山堂」です。

3回20人限定の予約制で、ご住職が寺宝や由緒などの説明を受けました。

いただいた御朱印です。
北条氏が出した文書にも押印されていた「禄寿応穏(ろくじゅおうおん)」
禄は財産、寿は生命を表し、人々が平和に暮らせるよう穏やかでありようにという願いが込められています。
また、その上には「伏せている虎」がいます。甲州武田氏が「龍」であるように小田原北条氏は「虎」。まさに龍虎の戦国武将をイメージです。
御朱印は特別公開の時だけ拝受です。
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