八幡神社のお参りの記録一覧
弥五郎どん祭りで有名な岩川八幡。
滅多に日没前に神社へお参りすることはないのですが、たまたま岩川八幡神社の近くを通ることになったため、参拝させていただきました。
弥五郎どんって何?ってことで調べてみました。
日本伝統文化振興機構のHPには次のような記載がありました。
「弥五郎どんは宮崎と鹿児島に伝わる巨人伝説の主人公で、「山に腰掛けて海で顔を洗った」、「足跡が谷や池になった」などの逸話が残されています。その出自については諸説あり、和銅3(710)年創建と伝わる的野正八幡宮では、大和朝廷に抵抗して征討された隼人民族の首領であったと伝えられています。
弥五郎どんは3兄弟であるという説があり、山之口町・的野正八幡宮が長男、鹿児島県曽於市大隅町・岩川八幡神社が次男、日南市飫肥・田ノ上八幡神社が三男といわれています。」
毎年11月3~5日に弥五郎どん祭りは開催され、高さ4.85mの弥五郎どんの大人形が木車に乗せられて街中を練り歩きます。
写真には撮っていませんが、周辺道路の街灯は弥五郎どんをモチーフにしていたり、神社から東へ約500mほどのところには高さ15mの弥五郎どん銅像がありました。
<御祭神>
玉依姫命 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后
武内宿禰命 伊勢神 保食神 春日神
熊野神 伊邪那岐神 菅原神
<御由緒>
後一条天皇の御代万寿二年、山城国石清水八幡宮より岩崎氏、黒岩氏が勧請し、今の元八幡の地に創建したと伝えられる。その後度々戦火に遭い、賊徒のために御神宝なども奪われて衰微したが、棟札に「天文四年檀越藤原重忠当地頭伴兼豊造立」とあり、肝付氏により再興されたことが知られる。また元八幡の地は河川に沿い出水の危険があるため、大正三年九月一日現在地に移転し、昭和十三年十月十四日社殿を新築した。
明治四十三年三月村社伊勢神社並びに藤原、笠祇、宇佐、保食、熊野の各無格社を合祀した。
鳥居
ここを大きな弥五郎どんが通っていきます。
拝殿
本殿
手水舎
龍に対峙するようにコブラがいました!
さざれ石
遥拝所
岩川八幡神社(いわがわはちまんじんじゃ)
旧社格:郷社
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、玉依比売命、武内宿禰命、
天照皇大神、伊邪那岐大神、保食神
御朱印は書置きを頂けますが、基本的に奇数日しか社務所が開いていません。
こちらの『弥五郎どん』は次男といわれています。
近くに『弥五郎伝説の里』があり弥五郎どん(レプリカ)が見られます。
御朱印。
この日は偶数日でしたが大祭前の準備をされていて運よく頂けました。
鳥居。
この鳥居を通った先に駐車場があります。
御社殿。
境内に皇居、伊勢神宮遥拝所がありました。
弥五郎どんは祭りのときにしかお姿を現さないので
子弥五郎どんが代理を務められています。
こちらの弥五郎どんは、過去にはスペインにまで出張されたそうで、
大変お忙しいようです。
神社近くの街灯も弥五郎どん仕様です。
過去(2016年<平成28年>)参拝時のものです。
鹿児島県曽於市にある岩川八幡神社へ参拝しました。
この神社は、的野正八幡宮や田上八幡宮とともに弥五郎どん祭りで有名な神社です。
弥五郎どん祭りの際には、次男としての役割で登場します。
幸運の財大吉神社巡りとしても取り上げられている神社です。
摂社・末社は見当たらないようでしたが、伊勢神宮や皇居への遥拝所というのがありました。
社殿の前には小さいながらもさざれ石がありました。
社務所は閉まっていて御朱印は頂くことができませんでした。
社殿の様子
小さな社殿のわりに、本坪鈴と鈴緒が多いです。
観光地にありがちな記念撮影のためのボード
やはり主役は弥五郎どんです
手水舎の様子
一般的な、龍の口から水が出てくるタイプのものです。よく見ると右側になぜか蛇がいました。
小さいながらもさざれ石があります
伊勢神宮や皇居などの遥拝所はここです
風景写真を使って遥拝先が丁寧に書かれています
狛犬を含めた社殿の様子
弥五郎どんの説明板です
毎年11月に祭りが開催されます
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
9
0