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八幡神社ではいただけません
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八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年01月17日(水)
参拝:2023年12月吉日
弥五郎どん祭りで有名な岩川八幡。
滅多に日没前に神社へお参りすることはないのですが、たまたま岩川八幡神社の近くを通ることになったため、参拝させていただきました。
弥五郎どんって何?ってことで調べてみました。
日本伝統文化振興機構のHPには次のような記載がありました。
「弥五郎どんは宮崎と鹿児島に伝わる巨人伝説の主人公で、「山に腰掛けて海で顔を洗った」、「足跡が谷や池になった」などの逸話が残されています。その出自については諸説あり、和銅3(710)年創建と伝わる的野正八幡宮では、大和朝廷に抵抗して征討された隼人民族の首領であったと伝えられています。
弥五郎どんは3兄弟であるという説があり、山之口町・的野正八幡宮が長男、鹿児島県曽於市大隅町・岩川八幡神社が次男、日南市飫肥・田ノ上八幡神社が三男といわれています。」
毎年11月3~5日に弥五郎どん祭りは開催され、高さ4.85mの弥五郎どんの大人形が木車に乗せられて街中を練り歩きます。
写真には撮っていませんが、周辺道路の街灯は弥五郎どんをモチーフにしていたり、神社から東へ約500mほどのところには高さ15mの弥五郎どん銅像がありました。
<御祭神>
玉依姫命 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后
武内宿禰命 伊勢神 保食神 春日神
熊野神 伊邪那岐神 菅原神
<御由緒>
後一条天皇の御代万寿二年、山城国石清水八幡宮より岩崎氏、黒岩氏が勧請し、今の元八幡の地に創建したと伝えられる。その後度々戦火に遭い、賊徒のために御神宝なども奪われて衰微したが、棟札に「天文四年檀越藤原重忠当地頭伴兼豊造立」とあり、肝付氏により再興されたことが知られる。また元八幡の地は河川に沿い出水の危険があるため、大正三年九月一日現在地に移転し、昭和十三年十月十四日社殿を新築した。
明治四十三年三月村社伊勢神社並びに藤原、笠祇、宇佐、保食、熊野の各無格社を合祀した。
滅多に日没前に神社へお参りすることはないのですが、たまたま岩川八幡神社の近くを通ることになったため、参拝させていただきました。
弥五郎どんって何?ってことで調べてみました。
日本伝統文化振興機構のHPには次のような記載がありました。
「弥五郎どんは宮崎と鹿児島に伝わる巨人伝説の主人公で、「山に腰掛けて海で顔を洗った」、「足跡が谷や池になった」などの逸話が残されています。その出自については諸説あり、和銅3(710)年創建と伝わる的野正八幡宮では、大和朝廷に抵抗して征討された隼人民族の首領であったと伝えられています。
弥五郎どんは3兄弟であるという説があり、山之口町・的野正八幡宮が長男、鹿児島県曽於市大隅町・岩川八幡神社が次男、日南市飫肥・田ノ上八幡神社が三男といわれています。」
毎年11月3~5日に弥五郎どん祭りは開催され、高さ4.85mの弥五郎どんの大人形が木車に乗せられて街中を練り歩きます。
写真には撮っていませんが、周辺道路の街灯は弥五郎どんをモチーフにしていたり、神社から東へ約500mほどのところには高さ15mの弥五郎どん銅像がありました。
<御祭神>
玉依姫命 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后
武内宿禰命 伊勢神 保食神 春日神
熊野神 伊邪那岐神 菅原神
<御由緒>
後一条天皇の御代万寿二年、山城国石清水八幡宮より岩崎氏、黒岩氏が勧請し、今の元八幡の地に創建したと伝えられる。その後度々戦火に遭い、賊徒のために御神宝なども奪われて衰微したが、棟札に「天文四年檀越藤原重忠当地頭伴兼豊造立」とあり、肝付氏により再興されたことが知られる。また元八幡の地は河川に沿い出水の危険があるため、大正三年九月一日現在地に移転し、昭和十三年十月十四日社殿を新築した。
明治四十三年三月村社伊勢神社並びに藤原、笠祇、宇佐、保食、熊野の各無格社を合祀した。
すてき
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