しゃくたいじんじゃ
石體神社のお参りの記録一覧
石體(しゃくたい)神社 鹿児島神宮境外摂社
石體(しゃくたい)神社 鹿児島神宮境外摂社
石體(しゃくたい)神社 鹿児島神宮境外摂社
石體(しゃくたい)神社 鹿児島神宮境外摂社
鹿児島神宮に向かって右折した先に鎮座するこの神社⛩️は参道が苔むしていて素敵でした。
鹿児島神宮の参拝を終えた頃から少し雨☔が降り出しました。
安産の神社のようです。
由緒
和銅元年(七〇八年)現在の鹿児島神宮の位置に速り、その跡に社殿を造ったのが石體神社であります。御妃は御子鸝鵜茸不合尊を鵜の羽根で葺く産床の葺き終へないうちにお産みになった程それ程お産の軽かった方で、その御神名よりして伺へます。現在本殿の前の石塔に小石が沢山ありますが、御神体の代りにその一つを頂いてお産後は一つ加へてお返しする慣習があります。岩田帯はこの石體(いわた)神社より出た言葉といふ説があります。
拝殿
拝殿内
本殿
【大隅國 古社巡り】
石體神社(しゃくたい~)は、鹿児島県霧島市隼人町内にある神社。鹿児島神宮の境外摂社。祭神は天津日高彦穂穂出見尊、豊玉比賣命。別名は「石體宮(しゃくたいぐう)」。
当社の現在地は、鹿児島神宮の北東300mの位置にあり、祭神の天津日高彦穂穂出見尊、豊玉比賣命が都として営んだ「高千穂宮」の正殿のあった場所で、鹿児島神宮の元宮にあたる。飛鳥時代の708年に鹿児島神宮は現社地に遷座し、その跡に社殿を作ったのが当社の始まりとされる。豊玉比賣命は、御子神の鵜鴎葺不合尊(うかやふきあえず)を鵜の羽で葺く産床を葺き終えないうちにお産みになったほどお産が軽かったため、御子神の名はこの故事に由来しており、安産の御神徳に篤いとされ崇敬されてきた。
当社は、JR日豊本線・隼人駅の北方1.5kmの、小高い台地の南麓にある。当社の南西数百mの位置に本社である鹿児島神宮がある。隣の敷地には同じく鹿児島神宮の境外摂社である卑弥呼神社がある。当社の南側には小川が流れているが、川の北側の雑木林が境内になっていて、さほど広くはない。ただ、その境内地が神代の高千穂宮の旧跡であり、鹿児島神宮の旧境内であるところが特徴。
今回は、鹿児島神宮の境外摂社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分たち以外にも鹿児島神宮参詣者と思しき人々がぱらぱらと訪れていた。
境内入口全景。橋を渡ってまっすぐ進むと当社、左方向に行くと卑弥呼神社。ともに鹿児島神宮境内社。
参道をまっすぐ進むと、突き当りに<鳥居>。
程良い薄暗さの階段を登って行く。
やがて<社殿>が見えてくる。
参道左側の<狛犬>。サイズは小さめ。
参道右側の<狛犬>。
拝殿前にある<手水盤>。
<拝殿>全景。真っ赤な朱塗りがビビッド。
<拝殿>内部。ミニマルできれい。
社殿右側の建物。椅子がたくさんあるところからすると、参集殿のようなものかな?
社殿と建物の間にある<御石>。
拝殿後ろの<本殿>。ひと回り小さな本殿が一段高いところにある。
<社殿>全景。ただの境外社とは思えないほどキレイにされている。
最後に、駐車場との境、境内南方にある<神代聖跡 高千穂宮跡>の碑。(^▽^)/
石體神社(しゃくたいじんじゃ)
御祭神
御祭神 天津日高彦穗穗出見尊
豊玉比賣命
由緒
鹿児島神宮の北東300mほどの地に鎮座する石體神社は、 御祭神の天津日高彦穗穗出見尊、豊玉比賣命が都として営なまれた高千穂宮正殿の在った所で、鹿児島神宮の元宮にあたります。和銅元年(708)に鹿児島神宮は現在の位置に遷座、その跡に社殿を造ったのが石體神社です。その標として石體神社の横には「神代聖蹟高千穂宮跡」の碑が建てられています。
豊玉比賣命は、御子神鵜鴎葺不合尊を鵜うの羽根で葺ふく産床の葺終えないうちにお産みになった程お産の軽かった方で、鵜鴎葺不合尊の名はその故事に由来しています。安産の御神徳で崇敬されており、本殿の前の石塔の小石を御神体の代わりにひとつを頂いて、お産後は河原の清浄な小石を拾い2個にしてお返しする慣ならわしがあります。尚なお、岩田帯はこの石體神社より出た言葉という説があります。
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