おおなむぢじんじゃ
大穴持神社のお参りの記録一覧
【大隅國 式内社巡り】
大穴持神社(おおなむぢ~)は、鹿児島県霧島市国分広瀬にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は大己貴命、相殿神は少彦名命、大歳神、住吉大神、霧島大神。通称は「おなんぢさあ」。
創建は不詳。社伝によると奈良時代の天平年間の創建とする。『続日本紀』では、764年条で大隅國・薩摩国境での噴火により新島が出現したが、778年条で新島を造ったのは「大穴持神」で官社にしたとの記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「大隅國 囎唹郡 大穴持神社 小」に比定されている。中世、近世においては、当地御家人が神主大宮司を担って存続したとの史料がある。明治時代に入り近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR日豊本線・国分駅の南方4kmほどの、錦江湾の内陸を通る国道504号線沿いの平地にある。境内はそこそこ広く、社殿周り以外は草木は多め。鮮やかな塗装の社殿はコンパクトサイズで、周りに5つの境内社を従えているが、その境内社の配置は江戸時代に描かれた『三国名勝図会』と同じというからすごい。
今回は、大隅國の式内社、鹿児島県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、家族連れや夫婦連れ、近所の子供の軍団など、いろんな人たちが参拝に訪れていた。
境内南端入口の<社号標>。
参道を進んだ、少し奥まったところにある<鳥居>。
参道の左手にある<手水舎>。
<拝殿>全景。大きくはないが、ビビッドな色合いで、見た目にインパクトがある。
<拝殿>正面。賽銭箱が奥にあるので、靴を脱いで昇殿参拝する形。
拝殿の左手に建つ3つの境内社。左から順に<大王社(八重事代主命)>、<大田社(猿田比古命)>、<月天社(月讀命)>。
江戸時代から境内社の配置が変わらないらしい。(;゚Д゚)
3つの境内社の背後にある<社務所>。御朱印は(おそらく)こちら。
参拝時は電気はついているが無人のようで御朱印は拝受できず。涙
手水舎の後ろ、社務所の横にある<日清日露 戦役紀念碑>。
拝殿後ろの<本殿>。サッシを使った覆屋だが、拝殿と同じく極彩色なので馴染んでいる。
右が<稲荷社(大宜都比賣命)>、左が<日天社(天照大日孁命)>。
社殿の奥の林の中に立つ<石製祠>。社名は不明。
境内東側の奥に立つ<忠魂碑>。簡素だがちゃんと鳥居と参道が付いている。
こちらは、社殿の右手の林の中に立つ<堤防復旧記念碑>。
大正時代の1914年に桜島が大爆発して海岸の堤防が決壊、当社南方の小村新田に海水が侵入し大きな被害をもたらした。その3年後の1917年に復旧が完了している。
こちらも、社殿の右手の林の中に立つ<堤塘竣工記念碑>。
昭和戦後の1951年秋のルース台風により海岸の堤防が決壊、当社南方の小村新田に海水が侵入し大きな被害をもたらした。その3年後の1954年に復旧が完了している。
最後に、<社殿>全景。サイズとしてはこぢんまりとしているが、鮮やかな彩色で強く印象に残る。(^▽^)/
大穴持神社(おおなむぢじんじゃ)
旧社格:県社
御祭神:大己貴命、少彦名命、大歳神
生憎の雨模様の週末でしたが、
久しぶりの連休だったのでまとめて神社巡りをしてきました。
御朱印はあるそうですが、朝早目に着いたので、
皆様清掃等でお忙しかったようでまたの機会に・・・
鳥居
御社殿
御祭神の大己貴命は蝮(マムシ)に咬みつかれたとのことから
蝮を嫌われるので『蝮除けの神』と崇められているそうです。
大隅国曽於郡の式内社です。式内社の中でも大己貴命さまを祭神とする神社は数多く見られますが、祭神名をそのまま社名としている数少ない例の一つです。
ちなみに筑前国には同名異字の大己貴神社があります。
《鳥居と社号碑》
《由緒書き》
マムシ除け…?医療の神さますげぇな。
授与品にも蛇除けのものがありました。
《拝殿》
☆チェックポイント!!
式内社の中でもたびたびお見かけする大己貴命さまですが、この神社が九州最南に鎮座しており、大己貴命さまの九州での伝承の広がりを示す神社として挙げられます。
《拝殿内部》
中に賽銭箱があるので、入室して参拝します。
《末社群》
《お塚?》
《末社…?》
なんか祠っぽいですね。古そう。
《忠魂碑》
神社の左手に授与所があり、無人であればその奥に社務所があります。
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