こめのつてんまんぐう
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楽しみ方米ノ津天満宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年01月28日(水) 21時59分19秒
参拝:2026年1月吉日
鹿児島県の北、出水市に鎮座する米ノ津天満宮に参拝しました。
こちらは狛犬がいらっしゃらず、阿吽の牛がお出迎えしてくれます。
しかも阿形は赤牛、吽形は黒牛。
なぜ赤と黒なのかはわかりません😅
さらに境内には撫で牛(御神牛)がいらっしゃいますが、こちらは黄金です。
こちらの牛を撫でると「開運上昇する」とのことで、頭を撫でさせていただきました。
基本的には無人の神社ですが、拝殿は靴を脱いで中に入り参拝することができます。
拝殿内はお正月ということもあり、いろいろなものがお供えされていました。
御朱印は車で3分ほど走った加紫久利神社さんでいただけます。
なおこちらは島津家の崇敬を受け、第13代将軍徳川家定公の御台所である篤姫が江戸へ向かう際に立ち寄り参拝されたとされています。
<御祭神>
菅原道眞公
<御由緒>~鹿児島県神社庁HPより~
二十六代島津斉宣公が天明七年九月東都に赴く途中、米ノ津の仮宿に泊まった時、村の長吏が報告して云うには、昨夜激しい風雨と雷のなか東北の方より一片の光がこの館に飛来し、二階を改めると浦に「天満天神」と銘ある鑑が一面あった。ここより東北の方は正に太宰府天満宮のある方角にあたり、天神が降臨されたのだと村人が申すので、その霊験を仰ぐために祀りたいということであった。許しを受け、その鑑の写しを二面つくり、更に太宰府の別当延寿院に依頼し、飛梅の枝で菅公の尊像を三体彫らせた。この鑑・尊像を組にして、一つは近くの民家に祀り代々の守りとし、一つは明くる年に新宮を建て、米ノ津天神と称したのが当社である。又残る一組は府城のなかに一社を建て祀られた。更に当社には、後世太宰府に請うて菅公自らお書きになった古帖の写しと、神剣を模して鋳造したものを併せて納めたという。
こちらは狛犬がいらっしゃらず、阿吽の牛がお出迎えしてくれます。
しかも阿形は赤牛、吽形は黒牛。
なぜ赤と黒なのかはわかりません😅
さらに境内には撫で牛(御神牛)がいらっしゃいますが、こちらは黄金です。
こちらの牛を撫でると「開運上昇する」とのことで、頭を撫でさせていただきました。
基本的には無人の神社ですが、拝殿は靴を脱いで中に入り参拝することができます。
拝殿内はお正月ということもあり、いろいろなものがお供えされていました。
御朱印は車で3分ほど走った加紫久利神社さんでいただけます。
なおこちらは島津家の崇敬を受け、第13代将軍徳川家定公の御台所である篤姫が江戸へ向かう際に立ち寄り参拝されたとされています。
<御祭神>
菅原道眞公
<御由緒>~鹿児島県神社庁HPより~
二十六代島津斉宣公が天明七年九月東都に赴く途中、米ノ津の仮宿に泊まった時、村の長吏が報告して云うには、昨夜激しい風雨と雷のなか東北の方より一片の光がこの館に飛来し、二階を改めると浦に「天満天神」と銘ある鑑が一面あった。ここより東北の方は正に太宰府天満宮のある方角にあたり、天神が降臨されたのだと村人が申すので、その霊験を仰ぐために祀りたいということであった。許しを受け、その鑑の写しを二面つくり、更に太宰府の別当延寿院に依頼し、飛梅の枝で菅公の尊像を三体彫らせた。この鑑・尊像を組にして、一つは近くの民家に祀り代々の守りとし、一つは明くる年に新宮を建て、米ノ津天神と称したのが当社である。又残る一組は府城のなかに一社を建て祀られた。更に当社には、後世太宰府に請うて菅公自らお書きになった古帖の写しと、神剣を模して鋳造したものを併せて納めたという。
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