ひらききじんじゃ
枚聞神社のお参りの記録一覧
枚聞(ひらきき)神社 薩摩國一ノ宮
枚聞(ひらきき)神社 薩摩國一ノ宮
枚聞(ひらきき)神社 薩摩國一ノ宮
奥の山が開聞岳です。
枚聞(ひらきき)神社 薩摩國一ノ宮
南薩地方一帯の総氏神として、また地方開拓の祖神として厚い崇敬が寄せられているが、特に交通安全、航海安全、漁業守護の神として附近航行の船人等から厚く信仰されているそうです。
朝お参りに来たら、運輸会社の運転手さんがお参りに来ていました。👍私からも交通安全を祈りました。🙏
社殿の後方に開門岳が見え、境内は朝から綺麗に清掃🧹されていました。
祭神
神社由緒記に大日孁貴命(天照大御神)を正祀とし他に皇祖神八柱神を併せ祀るとあり。
天之忍穂耳命
天之穂日命
天津彦根命
活津彦根命
熊野樟日命
多紀理毘売命
狭依毘売命
多岐都比売
拝殿内雲竜の彫刻柱
社殿後方に開門岳
社務所
神楽殿
土俵
枚聞神社(ひらききじんじゃ)
~玉手筥💝
薩摩国開聞神と和田都美神~
主祭神 大日孁貴命
(おおひるめのむちのみこと)
社格 式内社(小)
薩摩国一宮
旧国幣小社
別表神社
創建 神代 伝和銅元年(708年)
例祭 10月15日
主神事 ほぜ祭り(10月14日-16日)
通称 オカイモンサン
御由緒
御鎮座年代は社伝によれば遠く神代の創祀という。既に貞観二年三月、薩摩国従五位下開聞神加従四位下と三代実録に載せられているのを始めとして、同書には数度の神位昇叙の事が記され、殊に貞観十六年七月には開聞神山の大噴火の状態を太宰府より言上、神意を和める為勅令により封戸二千を奉られたとある。延喜式には薩摩国頴娃郡枚聞神社と今の枚聞の文字を用い、加紫久利神社と共に薩摩国式内社の一社として記載されている。 古来薩摩国一宮として代々朝廷の尊崇厚く度々奉幣あり、殊に島津氏入国の後はその崇敬絶大にして正治二年社殿再興以来、歴代藩主の修理、改造、再建等十余度に及び、元亀二年頴娃領主家の内乱に依り千九百余町の神領を失ったが、天正二十年九月には島津家より改めて田畠合計二十四町歩を寄進され、旧藩時代は別当寺瑞応院と共に祭祀を営んで来たものである。 また琉球人の崇敬も厚く、琉球王の名によって航海安全の神徳を奉謝して献納された額面が保存されている。 明治四年五月国幣小社に列せられ、現在薩摩国一宮として近隣の崇敬を集めている。
~鹿児島県神社庁より~
社殿の真後ろに開聞岳が位置するため、山岳信仰もあるようです。
開聞岳 そのお姿があまりにも神々しく嬉しかったです。
✴竜宮伝説き
枚聞神社から池田湖のほうへ進むと、日本最古の井戸とされる「玉の井」があります。
豊玉姫と彦火火出見のお二人が出会われた場所が『玉の井』といわれています。
(鹿児島県指宿市開聞十町)
海の神ワタツミの娘・トヨタマヒメは、美しい真珠に象徴される女神。 トヨタマヒメが朝夕、水をくんでいた玉乃井である日のこと、なくしてしまった兄の釣り針を探して、ワタツミを訪ねたヒコホホデミノミコト(山幸彦)は、この地でトヨタマヒメと出会われました。
そしてお互いに一目で心を通わせ結ばれます。 このご結婚により、ヒコホホデミノミコトは釣り針と潮満珠(しおみつたま)、潮乾珠(しおふるたま)を手に入れられました。
🐇🐇🐰🐇🐇
そして
住吉大社摂社大海神社境内の「玉乃井」に潮満珠、
潮乾珠は、住吉大社の御旅所 宿院頓宮「飯匙堀」(御祓祭斎場たる宿院並びに飯匙堀(いいがいぼり)は堺津繁華の枢区として 亦 千古不易の霊域たり)に、しずめられていると伝わります。
鹿児島県指宿市開聞十町1366
枚聞神社御朱印帳(藤色)
素晴らしい✴オカイモン✴オーラ✴がありました
【薩摩國 式内社巡り】
枚聞神社(ひらきき~)は、鹿児島県指宿市開聞十町にある神社。式内社で薩摩國一之宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は大日孁貴命(おおひるめのむち:天照大御神)、配祀神は五男三女神。
創建は不詳。元々は開聞岳を神体とする山岳信仰に根差した神社であったと考えられている。社伝によると、飛鳥時代の708年の創建。当初は開聞岳の南麓に鎮座していたと言われるが、貞観年間(859年~877年)の噴火により別地に避難、その後北麓の現在地に遷座されたとされる。国史の初見は『日本三代実録』860年条で神階奉授、866年条、882年条で神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「薩摩国 頴娃郡 枚聞神社 小」に比定されている。鎌倉時代以降は新田神社(薩摩川内市)との間で薩摩国一宮の地位を巡って激しい争いを繰り広げた。戦国時代には島津氏の有力家臣であった頴娃氏の庇護下にあったが、江戸時代になると島津氏が崇敬し1610年に島津義弘が社殿を寄進、1787年に島津重豪がこれを改築している。明治時代に入り近代社格制度のもと国幣小社に列格した。
当社は、JR指宿枕崎線・開聞駅の北東600mの、県道28号線沿いの郊外、平地にある。神体山である開聞岳のちょうど北側にあって、境内北側にある入口から参道を進むと、勅使殿(普通の神社の拝殿)の背後に開聞岳が見えるというドラマティックな配置になっている。境内の広さは広大だが、参拝エリアは一宮としてはコンパクト。ただし社殿の配置が特異で、参道の突き当りが勅使殿、その両側に長庁という横長の建物があって、勅使殿の後方に拝殿と本殿がある造りで独特な雰囲気がある。
今回は、薩摩國の式内社、薩摩國一之宮、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、早い時間だったにもかかわらず自分たち以外にも気合の入った参拝者が何組も訪れていた。
境内北端入口全景。写真右端は県道28号線の枚聞神社前交差点。
神橋を渡って<一の鳥居>。
参道を進んで<二の鳥居>周辺全景。右手の巨木が古社であることを証明してくれる。
<二の鳥居>とその両側の<門守神社>。
二の鳥居前、左手にある<手水舎>。
二の鳥居をくぐって参道を進むと、参道右側にある<宝物殿>。
宝物殿には国指定の重要文化財である<松梅蒔絵櫛笥>が収められている。松と梅の蒔絵で飾られた女性用の化粧用具箱。
当社では「竜宮伝説の玉手箱」として紹介している。(写真は説明看板を撮ったもの)
参道上の宝物殿近くから見た<社殿>全景。他の神社と大きく異なる点としては、中央に<勅使殿>があり、その両側に<長庁>建っていること。もう一つは、勅使殿の背後に、神体山である<開聞岳>が見えること。
開聞岳は写真のような、独特で綺麗な形をしているのが特徴。
当社に向かう途中、車の助手席から撮影。(運転中に撮ったわけではありません)...(^_^;)
こちらが<勅使殿>。
<勅使殿>内部。奉納酒樽が並ぶ。床も天井も、彫刻も彩色もとにかく美しい。
右側の<長庁>。左右ともに授与所になっている。御朱印帳は左側の長庁にて領布している。
勅使殿の後ろの<拝殿>。
<拝殿>正面。
<拝殿>内部。
拝殿後ろの<本殿>。
本殿の右外側にある境内社。
<社殿>全景。
社殿の左手にある<祈願者控所>。
長庁前に戻って、こちらは<神馬>。
勅使殿に向かって左手にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所前から<社殿>方向を望む。やはり社殿前に勅使殿と長庁が一列に並んで建っているのが壮観。
最後に<勅使殿>と<開聞岳>。神聖な雰囲気と相俟って、神様に近づけたような、深く心が洗われる感覚にすっかり浸ってしまった。
空気感がとにかく素晴らしい神社。(^▽^)/
出張の合間の休日におまいりに行きました。
大変厳かなところでした。
薩摩の国一の宮だけあり、とてもパワーを感じました。
拝殿の後ろに見えるのは、日本百名山の開聞岳です
直書き御朱印をいただきました。
国内でも指折りの大きな湖「池田湖」に程近い位置に鎮座します。指宿市で一番のとても由緒ある神社です。最近マイナーな神社ばかりでしたが久しぶりに神職の方々が常駐されている神社を訪れました。
交通安全の祈願で有名ですね。
さすが綺麗にされております。
薩摩は島津のお殿様所縁の神社。
枚聞神社(ひらききじんじゃ)
旧社格:国幣小社
御祭神:枚聞神一座(大日霎貴命、天之忍穂耳命、天之穂日命、天津彦根命、
活津彦根命、熊野樟日命、多紀理毘賣命、狭依毘賣命、
多岐都比賣命)
薩摩国一ノ宮
一ノ鳥居。
二の鳥居。
この写真ではわかりませんが、
正面奥に開聞岳が鎮座しています。
どうやら開聞岳はこちらの御神体のようです。
開聞岳頂上に奥宮があるそうですが、
以前登ったときには気付きませんでした。
御神木のクスノキ(樹齢800年)
幹が分かれているところからヤマザクラが咲いてます。
勅使殿。
奥に拝殿、幣殿、本殿という造りです。
拝殿ではちょうどお祓いの最中だったので写真は断念しました。
勅使殿の東西に回廊のような長丁がある独特の造りだそうです。
大分県の柞原八幡宮と少し似た造りです。
手書きの御朱印を頂きました。
雰囲気もよく居心地のいい神社でした。
枚聞神社から1分ほどのところにある『玉乃井』
綿津見神宮の入り口の井戸とされている『玉乃井』で、
日本最古の井戸と伝えられています。
残念ながら井戸の中は蓋がされていて見ることは出来ません。
山幸彦(彦火々出見命)と豊玉姫のゆかりの地なので
参拝のついでにこちらもどうぞ。
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