たにやまじんじゃ
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御朱印 | |||
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限定 | |||
郵送対応 | お申し込み方法は下記のホームページURLをご参照ください。 https://taniyama-jinja.jp/omamori/ | ||
御朱印帳 | |||
授与品のネット対応 | https://taniyama-jinja.jp/omamori/ | ||
駐車場 | 70台 |
谷山神社について
谷山神社は、懐良親王をご祭神とし、昔より地域のみなさまの信望を厚く受けている神社です。豊かな自然に囲まれ、春は桜、秋はもみじ・銀杏も見頃です。パワースポットとして多くの方に愛されております。
展望台からは、桜島や錦江湾、谷山市街地を一望できます。
お正月の初日の出スポットとしても人気です。
周辺には「そうめん流し」や「ふるさと考古歴史館」や飲食店などもあります。
直接車で行くことができ、谷山神社の境内地には約70台の駐車場があります。また、ふるさと考古歴史館方面から遊歩道にて来ることもできます。
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慈眼寺公園の高台に鎮座する谷山神社。
慈眼寺公園の無料駐車場もあったようなのですが、そちらに停めるとながーい階段を登らないといけないということで、谷山神社境内にある駐車場を目指して坂道を登っていきます。
しかし神社を目指す車がずらっと並び、1分もかからない道のりを15分ほどかかってようやく神社に到着しました。
車を停めてまず最初に目に飛び込んでくるのが、雄大な桜島を一望できる見晴らし!
この日の噴煙は南へと流れ、谷山神社からはとてもきれいに見えました。
1月限定御朱印(800円)と正月限定御朱印(1,000円)があり、今回は1月限定御朱印をいただいてまいりました。
御祭神:懐良親王
<御由緒>
懐良親王は、後醍醐天皇の第九皇子として元徳元年(1329年)に生まれたと推測されています。
延元元年(1336年)に幼くして後醍醐天皇の命により鎮西統一のため征西大将軍に任命されます。
その後、興国3年(1342年)に薩摩に入り、谷山城主である谷山五郎隆信に迎えられて北朝と戦いました。
昭和3年、懐良親王の英霊を慰め奉り、谷山神社が建立されたとのこと。
谷山神社から見た桜島
拝殿
本殿
境内社 千々輪神社
谷山城主谷山五郎隆信が祀られています
【薩摩國 古社巡り】
谷山神社(たにやま~)は、鹿児島県鹿児島市下福元町にある神社。旧社格は県社。祭神は懐良(かねなが)親王(後醍醐天皇第九皇子)。
祭神の懐良親王は、建武の中興期の1336年、後醍醐天皇の命により鎮西統一のための征西将軍宮に任ぜられたが、谷山城主・谷山五郎隆信は親王を千々輪本城に迎え、近くの高台に御所を建て衷心からこれを奉迎した。昭和初めの1928年に谷山町民は懐良親王の英霊を慰め奉り、神徳を宣揚し道徳の涵養に努めようと当社を創建した。のち近代社格制度のもと県社に列格している。
当社は、JR指宿枕崎線・慈眼寺駅の南西800mの市街地の中にある高台の上、慈眼寺公園内にある。南側の公道から急峻な階段を137段登った錦江湾まで見渡せる高台にあるが、車で登ることもできる。公園内にあるため境内の境界が曖昧だが、塀や柵がない分、広々とした感じがする。鳥居から社殿まではさほど距離はなく、参道脇に境内社が数社ある。
今回は、鹿児島県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中、鹿児島の街中にある人気神社のようで、境内脇に駐車場に辿り着くまでは数十分の順番待ちで、境内は家族連れや若者の友達グループなど多くの参拝者が訪れていた。
境内南東端入口全景。高台の慈眼寺公園内にある。
参道を少し進んで<鳥居>と<社号標>。鳥居の右側には<授与所>、左側には駐車場がある。
鳥居をくぐったところから社殿方向を望む。
参道右側の<手水舎>。
<拝殿>全景。瓦葺の屋根と落ち着いた色合いの躯体が特徴。
<拝殿>正面。上部には扁額はなし。
<拝殿>内部。奥の上部に小さな扁額がある。多くの人々が昇殿祈祷中。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿後ろの<本殿>。
本殿近くにある建物。元授与所かな。
<社殿>全景。
後回しにした、参道右側の唯一の境内社。鳥居の扁額には<谷山神社末社>とある。
鳥居近くまで戻って<社務所>。御朱印はこちら。参拝者で大盛況だった。
境内の南西部にある、麓からの参道の階段。急峻な階段は137段あるみたい。(;゚Д゚)
境内の南側の駐車場から見た景色。鹿児島市の市街地南部と錦江湾、海の向こうに大隅半島が見える。(^▽^)/
歴史
足利尊氏とともに鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇ごだいごてんのうの皇子である谷山神社ご祭神懐良親王かねながしんのうは、西暦1336年(延元元年)、後醍醐天皇の命により、鎮西ちんせい(九州)統一のため征西大将軍に任命された。
西暦1342年(興国3年)5月、谷山城主 谷山五郎隆信たにやまごろうたかのぶは懐良親王を千々輪ちちわ本城(谷山城)に迎えて本城より約20町(2,200メートル)の高台に御所ごしょを建て衷心ちゅうしんをよりこれを奉迎ほうげいしたこの地を御所ヶ原ごしょがはらと呼び、現在親王の石碑が建っている。
昭和3年谷山町民は懐良親王の英霊を慰め奉り、また神徳を宣揚(せんよう)して国民の道徳の涵養(かんよう)に努めようとして、谷山神社を建立した。谷山神社建立にあたっては、明治時代に2度内閣総理大臣を務めた鹿児島出身の松方正義まが尽力した。
谷山神社の基本情報
住所 | 鹿児島県鹿児島市下福元町3786-3 |
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行き方 | 自動車でのアクセス
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名称 | 谷山神社 |
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読み方 | たにやまじんじゃ |
トイレ | 鳥居を出てすぐ左にあります。 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印の郵送対応 | あり お申し込み方法は下記のホームページURLをご参照ください。
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御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0992688344 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://taniyama-jinja.jp/ |
おみくじ | あり |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 懐良親王 |
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ご由緒 | 足利尊氏とともに鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇ごだいごてんのうの皇子である谷山神社ご祭神懐良親王かねながしんのうは、西暦1336年(延元元年)、後醍醐天皇の命により、鎮西ちんせい(九州)統一のため征西大将軍に任命された。 西暦1342年(興国3年)5月、谷山城主 谷山五郎隆信たにやまごろうたかのぶは懐良親王を千々輪ちちわ本城(谷山城)に迎えて本城より約20町(2,200メートル)の高台に御所ごしょを建て衷心ちゅうしんをよりこれを奉迎ほうげいしたこの地を御所ヶ原ごしょがはらと呼び、現在親王の石碑が建っている。 昭和3年谷山町民は懐良親王の英霊を慰め奉り、また神徳を宣揚(せんよう)して国民の道徳の涵養(かんよう)に努めようとして、谷山神社を建立した。谷山神社建立にあたっては、明治時代に2度内閣総理大臣を務めた鹿児島出身の松方正義まが尽力した。 |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り人形供養夏詣 |
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