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荒田八幡宮ではいただけません
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荒田八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年10月06日(日)
参拝:2024年8月吉日
鹿児島の天文館から県道20号線を南下していくと、左手に朱色の社殿と鳥居がちらっと見えます。
何度かここを通ったことがあり、荒田八幡宮があることは知っていたのですが、今回ようやくお参りすることができました。
車は鳥居をくぐって境内に入ると停めることができます。
境内はとてもすっきりとしていて、街中にあることもあり開けた印象でとても明るかったです。
他に参拝されている方がたまたまいらっしゃらなかったので、ゆっくりとお参りすることができました。
こちらの社殿の下の砂は「まむし除けの御砂」として、持っているとまむしの被害を被ることがないそうです。
<御祭神>
応神天皇 神功皇后 玉依姫尊
<御由緒>~境内由緒書より~
和銅年間(708年)桜島噴出と時を同じく約1280余年御創建この間幾多の戦火にも消失せず。
天文21年(1552年)島津第15代貴久公現在地に再興。
昭和58年4月御創建1275年奉祝御社殿流造、幣殿、拝殿、入母屋造、屋根銅板葺に改築御造営。
往古は鹿児島の宗社なり、大隅国正八幡宮、今の鹿児島神宮御領鹿児島荒田村なり、その領地の境西を守護せよと荒田八幡宮(別宮)を創建。
元亀2年(1571年)4月大隅国今の肝属郡辺りより財徒襲い来りて当宮の神宝を奪い荒田浜より船に乗りて帰る途中俄に暴風おこりて船、神宝諸共皆海中にしずみたると云う、毎年正祭秋祭荒田浜に行宮を設け御輿を護りて下る。
これを八幡浜下りと云う、又荒田領地は火災のない所と伝え知られし。
何度かここを通ったことがあり、荒田八幡宮があることは知っていたのですが、今回ようやくお参りすることができました。
車は鳥居をくぐって境内に入ると停めることができます。
境内はとてもすっきりとしていて、街中にあることもあり開けた印象でとても明るかったです。
他に参拝されている方がたまたまいらっしゃらなかったので、ゆっくりとお参りすることができました。
こちらの社殿の下の砂は「まむし除けの御砂」として、持っているとまむしの被害を被ることがないそうです。
<御祭神>
応神天皇 神功皇后 玉依姫尊
<御由緒>~境内由緒書より~
和銅年間(708年)桜島噴出と時を同じく約1280余年御創建この間幾多の戦火にも消失せず。
天文21年(1552年)島津第15代貴久公現在地に再興。
昭和58年4月御創建1275年奉祝御社殿流造、幣殿、拝殿、入母屋造、屋根銅板葺に改築御造営。
往古は鹿児島の宗社なり、大隅国正八幡宮、今の鹿児島神宮御領鹿児島荒田村なり、その領地の境西を守護せよと荒田八幡宮(別宮)を創建。
元亀2年(1571年)4月大隅国今の肝属郡辺りより財徒襲い来りて当宮の神宝を奪い荒田浜より船に乗りて帰る途中俄に暴風おこりて船、神宝諸共皆海中にしずみたると云う、毎年正祭秋祭荒田浜に行宮を設け御輿を護りて下る。
これを八幡浜下りと云う、又荒田領地は火災のない所と伝え知られし。
鳥居
この鳥居が面する道路は「八幡様通(はちまんさあどおい)」とのこと
この鳥居が面する道路は「八幡様通(はちまんさあどおい)」とのこと
鳥居横の門守社(向かって右側)
櫛磐窓神
櫛磐窓神
鳥居横の門守社(向かって左側)
豊磐窓神
豊磐窓神
拝殿
拝殿 向かって右側より
本殿
手水舎
稲荷神社
蛭児神社
祖霊社
龍神様
左から
三方荒神 恵比須神 田の神
三方荒神 恵比須神 田の神
地神 水神
田の神鎮座由来記
御神木 楠
すてき
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