てるくにじんじゃ
照國神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
【照國神社】
御由緒
御祭神の島津齊彬公は文化6年(1809)御出生、嘉永4(1851)43歳で薩摩藩・藩主を襲封され、安政5年(1858)薨去されるまで僅か7ヶ年間の治世であったが、その間の御事績は藩内のみならず日本国にとっても広く大きく数々のものを残された。生前の御遺徳を慕い崇敬の念を寄せる万民の願いにより神社設立の運動が起り、文久2(1862)鶴丸城の西域である南泉院の郭内に社地を選定し、仝3年(1863)5月11日勅命によって照國大明神の神号を授けられ一社を創建した。
御祭神
照國大明神(てるくにだいみょうじん)
島津家28代当主 11代藩主 島津齊彬(しまづなりあきら)
妖怪ウォッチの「照国神社の熊手」で有名になった鹿児島市にある照国神社に参拝させていただきました。鹿児島県内で最大の六月灯が行われます。幕末ファンにはたまらない神社ではないでしょうか。
基本の御朱印です。コロナ禍なので書置きのものしかいただけません。
1月にいただいた書置きの御朱印です。
6月にいただいた書置きの御朱印です。
タクシーの運転手さんのお勧めで、薩摩藩藩主 島津斉彬公をお祀りする照國神社に御参りへ。
鹿児島市内の中心部 天文館からほど近い場所にあり大きな鳥居が目印です。
運転手さんのお話から、斉彬公の数々の業績に今でも感謝し、敬われている様子が感じられました。ありがとうございました。
鳥居を抜けると不思議な形をした木が見えました。説明を読むと斉彬公時代に植栽されたものと思われる「イヌマキ」の木で御祭神の斉彬公にあやかって「斉鶴」というそうです。
確かに羽を広げた鶴のような姿です。
神門
境内の色々な所に丸に十字(島津家の家紋)が施されていました
雨が降ってきてしまったので遠くからの撮影ですが拝殿
境内の右側には御祭神の島津斉彬公の銅像がありました
銅像の横には斉彬公の御事績がまとめられていました。
斉彬公のご発案によって、日本船の印として日章旗(日の丸)が制定されて、それが今日の日本の国旗になっているんですね。
歴史の苦手な私は、初めて知りました。
勉強になりました。
御朱印
御祭神の島津齊彬公は文化6年(1809)御出生、嘉永4(1851)43歳で薩摩藩・藩主を襲封され、安政5年(1858)薨去されるまで僅か7ヶ年間の治世であったが、その間の御事績は藩内のみならず日本国にとっても広く大きく数々のものを残された。生前の御遺徳を慕い崇敬の念を寄せる万民の願いにより神社設立の運動が起り、文久2(1862)鶴丸城の西域である南泉院の郭内に社地を選定し、仝3年(1863)5月11日勅命によって照國大明神の神号を授けられ一社を創建した。
翌元治元年(1864)社殿竣工、照國神社と称し、明治6(1873)県社に、仝15年(1882)別格官幣社に列格し、仝34年1901)正一位を賜り、今日では、鹿児島の総氏神様として、多くの人々に崇敬されています。
規模が大きく圧倒される神社です。
御朱印
鳥居
手水舎
楼門
拝殿
照国神社御祭神 照国大明神 島津斉彬公銅像
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