てるくにじんじゃ
照國神社のお参りの記録一覧
鹿児島市内の神社といえばこちらの照国神社
何年も長くきていなかったけど
派手な色合いがないのに存在感がある
好きな神社
直書き500円
ギラギラした赤色ではなくそっとシンプルかつ存在感
鹿児島市内の神社といえば照国神社
御朱印記帳の間、こちらで待たせていただいた
初めて鹿児島市を訪れた時にお参りした神社⛩️
道路に大きな石鳥居があり
入口には鶴の形の植木が🕊️
かなりインパクトあり🤩
社殿もまだ新しいのか とてもキレイ✨
島津藩の紋が境内あちこちにあり
島津斉彬公の銅像が立っていた🙄
帰りの 鶴の植木と大鳥居のコントラストも
見応えあり‼️
道路にある大きな石鳥居⛩️
鶴の形の植木🕊️
かなりインパクトあり🤩
手水舎
扁額も年季が入っている
社殿
島津藩の紋
社務所
社務所からまた社殿
脇社
島津斉彬公の銅像
鶴の植木と🕊️鳥居⛩️にもインパクトあり‼️
照国神社の参拝記録
祭神は島津家28代当主斉彬で、文久3年(1863)、天皇から照国大明神の神号が授けられ、翌年の元治元年(1864)、東照宮が建っていた地に社殿を造営し、照國神社と称した。
照国神社の背面は城山。標高107mの小高い山で、西南戦争の最後の激戦地となったため、西郷洞窟や西郷終焉の地など、西南戦争にまつわる史跡が多く存在する。またクスの大木やシダ・サンゴ樹など約600種の温帯・亜熱帯性植物が自生する自然の宝庫で、展望台からは桜島をはじめ錦江湾や鹿児島市街地を一望できる。夜景が美しいことでも有名で、昭和6年に国の天然記念物及び史跡の指定を受けている。
島津家28代当主、薩摩藩11代藩主 島津斉彬公を御祭神とする照国神社。
過去に2度参拝していましたがいずれも初詣だったため多くの人で込み合った中の参拝でした。
今回初めてお正月以外に参拝したため、ゆっくりとお参りすることができました。
境内の南東には大きな白い大鳥居が構えており、その先には桜島が位置しています。
そして境内に入ると正面には大きな翼を広げた鶴のような「斎鶴」。
このイヌマキの木は本当に見事ですよ。
<御由緒>~照國神社HPより~
御祭神の島津齊彬公は文化6年(1809)御出生、嘉永4(1851)43歳で薩摩藩・藩主を襲封され、安政5年(1858)薨去されるまで僅か7ヶ年間の治世であったが、その間の御事績は藩内のみならず日本国にとっても広く大きく数々のものを残された。生前の御遺徳を慕い崇敬の念を寄せる万民の願いにより神社設立の運動が起り、文久2(1862)鶴丸城の西域である南泉院の郭内に社地を選定し、仝3年(1863)5月11日勅命によって照國大明神の神号を授けられ一社を創建した。
翌元治元年(1864)社殿竣工、照國神社と称し、明治6(1873)県社に、仝15年(1882)別格官幣社に列格し、仝34年1901)正一位を賜り、今日では、鹿児島の総氏神様として、多くの人々に崇敬されています。
大鳥居
イヌマキの木「斎鶴」
鶴が翼を広げているような姿から名付けられました
手水には島津家の家紋
神門
神門扉にも家紋が入っています
拝殿
拝殿向かって右側には薩摩藩に関する歴史が展示されています
本殿
島津斉彬公の花王
島津斉彬公の像
「日の丸」制定の由来
【薩摩國 古社巡り】
照國神社(てるくに~)は、鹿児島県鹿児島市照国町にある神社。旧社格は別格官幣社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は照國大明神(島津斉彬公)。
祭神は薩摩藩第11代藩主で、島津家28代当主だが、1858年に50歳で急逝した。1962年にその遺志を継いだ弟の島津久光と甥の島津忠義が鹿児島城内西域の南泉院郭内に祭神を祀る社地を選定し、翌1863年に孝明天皇の勅命による「照國大明神」の神号授与を受けて祠を造営したのが始まり。翌1864年に東照宮が建っていた地に改めて社殿を造営し「照國神社」と称した。明治時代に入り近代社格制度のもと県社に列格し、その後別格官幣社に昇格した。1877年の西南戦争で社殿を焼失したが1882年に復興。太平洋戦争時の1945年にも米軍の空爆により社殿を焼失、昭和戦後の1958年に現在のコンクリート造の社殿が復興造営された。
当社は、鹿児島市電・天文館通駅の北西500mの鹿児島市の中心地、城山公園(鹿児島城址)の南部にある。境内の南側に国道10号線が通っているが、当社の元参道自体も国道225号線となっている。巨大な鳥居をくぐって境内に入ると、幅の広い参道がまっすぐ続き、大きな神門をくぐると塀で囲まれた社殿前に出る造り。全体に格の高さを感じるが、入口すぐの参道の半分以上を駐車場に使っているのがちょっと残念。
今回は、旧別格官幣社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後、鹿児島の街中にある人気神社のようで、境内は家族連れや若者グループなど多くの参拝者が訪れていた。
境内南東端入口に立つ<大鳥居>。昭和戦前の1929年の建立で、高さは19.8m。
鳥居に向かって右手数十mの場所にある<清水忠義公像>。
<清水忠義公像>アップ。凛々しいお姿。
境内南東端入口の<社号標>(右側)。
社号標近くから社殿方向を望む。本来幅の広い立派な参道が伸びているはずだが、幅の半分以上が駐車場になっている。
屋台でさらに狭くなった参道を進む。
参道上にある立派な<日露戦争凱旋紀念灯籠>。屋根には<菊の御紋>、燈籠部には島津家の家紋<丸に十字>。
数段の階段を登ったところで振り返ってみる。
参道中央にある、強烈に個性的な形に整えられた<斉鶴(イヌマキの木)>。何の形のイメージなのかな?
樹齢はなんと180年。
数段の階段を登った右側にある、立派な休憩所<浩然亭>。
数段の階段を登った左手にある<照國記念館>。1階の<照國文庫資料館>はなんと入場無料。
イヌマキの木のあたりから<神門>方向を望む。
神門前右手にある<手水舎>。
神門前左手にある<社務所>。御朱印はこちら。
<神門>全景。社殿を含めた神域は瑞垣で囲まれている。
いよいよ<神門>をくぐる。頭上には「照國神社」の扁額と「慶春飛躍」の長絵馬。
神門をくぐって右手にある<授与所>。
神門をくぐって左手にある<祈祷受付所>。
<拝殿>全景。大勢の参拝者で賑わっている。
<拝殿>正面。昇殿祈祷客がいっぱい。
拝殿から振り返って境内全景。
<拝殿>全景。かなり大きい。拝殿後ろの本殿を探して少し下がってみるが、それでも見えなかった。
後ろの高台は旧鹿児島城址であり、1877年の西南戦争時の薩摩藩陣跡。
ここには鹿児島の歴史が詰まっている。(^▽^)/
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