てるくにじんじゃ
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照國神社ではいただけません
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照國神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年04月11日(火)
参拝:2023年3月吉日
島津家28代当主、薩摩藩11代藩主 島津斉彬公を御祭神とする照国神社。
過去に2度参拝していましたがいずれも初詣だったため多くの人で込み合った中の参拝でした。
今回初めてお正月以外に参拝したため、ゆっくりとお参りすることができました。
境内の南東には大きな白い大鳥居が構えており、その先には桜島が位置しています。
そして境内に入ると正面には大きな翼を広げた鶴のような「斎鶴」。
このイヌマキの木は本当に見事ですよ。
<御由緒>~照國神社HPより~
御祭神の島津齊彬公は文化6年(1809)御出生、嘉永4(1851)43歳で薩摩藩・藩主を襲封され、安政5年(1858)薨去されるまで僅か7ヶ年間の治世であったが、その間の御事績は藩内のみならず日本国にとっても広く大きく数々のものを残された。生前の御遺徳を慕い崇敬の念を寄せる万民の願いにより神社設立の運動が起り、文久2(1862)鶴丸城の西域である南泉院の郭内に社地を選定し、仝3年(1863)5月11日勅命によって照國大明神の神号を授けられ一社を創建した。
翌元治元年(1864)社殿竣工、照國神社と称し、明治6(1873)県社に、仝15年(1882)別格官幣社に列格し、仝34年1901)正一位を賜り、今日では、鹿児島の総氏神様として、多くの人々に崇敬されています。
過去に2度参拝していましたがいずれも初詣だったため多くの人で込み合った中の参拝でした。
今回初めてお正月以外に参拝したため、ゆっくりとお参りすることができました。
境内の南東には大きな白い大鳥居が構えており、その先には桜島が位置しています。
そして境内に入ると正面には大きな翼を広げた鶴のような「斎鶴」。
このイヌマキの木は本当に見事ですよ。
<御由緒>~照國神社HPより~
御祭神の島津齊彬公は文化6年(1809)御出生、嘉永4(1851)43歳で薩摩藩・藩主を襲封され、安政5年(1858)薨去されるまで僅か7ヶ年間の治世であったが、その間の御事績は藩内のみならず日本国にとっても広く大きく数々のものを残された。生前の御遺徳を慕い崇敬の念を寄せる万民の願いにより神社設立の運動が起り、文久2(1862)鶴丸城の西域である南泉院の郭内に社地を選定し、仝3年(1863)5月11日勅命によって照國大明神の神号を授けられ一社を創建した。
翌元治元年(1864)社殿竣工、照國神社と称し、明治6(1873)県社に、仝15年(1882)別格官幣社に列格し、仝34年1901)正一位を賜り、今日では、鹿児島の総氏神様として、多くの人々に崇敬されています。
大鳥居
イヌマキの木「斎鶴」
鶴が翼を広げているような姿から名付けられました
鶴が翼を広げているような姿から名付けられました
手水には島津家の家紋
神門
神門扉にも家紋が入っています
拝殿
拝殿向かって右側には薩摩藩に関する歴史が展示されています
本殿
島津斉彬公の花王
島津斉彬公の像
「日の丸」制定の由来
すてき
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