まんだらじ|真言宗善通寺派|我拝師山(がはいしざん)
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楽しみ方曼荼羅寺のお参りの記録一覧

3回目の1泊2日四国八十八か所巡り 2日目の6寺院目です。
弥谷寺から車で15分ほどでした。弥谷寺での疲れも その間になんとか回復。
少し細い道を通りましたが 無事に駐車場に車を停めてすぐ仁王門です。
大変失礼な言い方ですが 右側 阿の金剛力士像の顔 ドラゴンボールのベジータが怒った時の顔に似ています。拡大して見てください。似てるでしょ。
奥行きのある境内で 建物も石像も多いです。
嬉しかったのが 大師堂も本堂も護摩堂も すべて内陣を見ることができたことです。
本堂のご本尊は見られなかった(?)見れた(?)です。見えた仏像はご本尊ではなかったのかな。拡大してみてください 木彫の仏様が見えます。
護摩堂と大師堂の護摩壇(?) かっこいいですね。
残念だったのは 空海の手植えと伝わる不老松が伐採されてしまっていたこと。
マツクイムシの被害だそうです。残念。写真で見事な様を見ることはできました。
山号は我拜師山 院号は延命院 宗旨宗派は真言宗善通寺派 寺格は別格本山 ご本尊は金剛界大日如来 創建年は(伝)推古天皇4年(596年) 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あびらうんけん ばさらだどばん
ご詠歌:わずかにも曼荼羅おがむ人はただ ふたたびみたびかえらざらまし
でした。
由緒については
寺伝によれば 空海の出身氏族である佐伯氏の氏寺として 推古天皇4年(596年)に創建され 当初は世坂寺(よさかじ)と称したという。
空海が唐より帰国後 請来した両界曼荼羅を奉納し 大日如来を本尊として安置し再興 母(伝承では玉依御前)の菩提寺とし 曼荼羅寺と改称したと伝える。
鎌倉時代には 後堀河天皇から寺領を給わるほど栄えた。
しかし 永禄3年(1560年)阿波の三好実休によるの兵火で焼亡 さらに慶長年間(1596年 – 1615年)に戦火を受けたが復興している。
空海の手植えとされた「笠松(不老松)」は 平成14年(2002年)に松くい虫による被害で伐採された。
とありました。
仁王門
石柱
顔が ドラゴンボールのベジータみたい
境内は奥行きがあります
明治の鬼瓦
手水は やはり龍でした
延命地蔵
修行大師像
鐘楼
大師堂
内陣
こちらも延命地蔵
愛染明王
八幡宮
護摩堂
字が読みにくい
内陣
本堂
扁額は緑色
内陣
観音堂
笠松大師
不老松

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
72番 曼荼羅寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
72番 曼荼羅寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
72番 曼荼羅寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
72番 曼荼羅寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
72番 曼荼羅寺

【我拝師山(がはいしざん) 延命院(えんめいいん )曼荼羅寺( まんだらじ)】
本尊:大日如来
宗派:真言宗善通寺派
開基:弘法大師
曼荼羅寺は、四国霊場でもっとも古い歴史をもつ札所。596(推古4)年、讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、「世坂寺(よさかでら)」と称していた。弘法大師(774-835)がこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年(807(大同2)年)のこと。母親・玉依御前(たまよりごぜん)の菩提を弔うためだったともいわれている。唐の青龍寺にならって伽藍を3年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めた。
【72_T.Hamada's view】
本堂。
【72_西行の昼寝石と笠掛桜】
平安末期、武士でありながら出家した西行が、頻繁に訪れ、昼寝をしたとされる「西行の昼寝石」が残る。傍には歌に詠まれた「笠掛桜」が立ち、平安時代に思いを馳せることができる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【72_西行の昼寝石】
平安時代の歌僧・西行法師はここ曼荼羅寺の近くに「西行庵」を結び、2年ほど滞在していた。
【72_大師堂】
【72_仁王門】
【72_仁王阿形像】
【72_仁王吽形像】
【72_龍の手水舎】
【72_護摩堂】
【72_観音堂】
【72_聖観音立像】
観音堂の観音像。
【72_地蔵堂】
【72_延命地蔵像】
地蔵堂の延命地蔵像。
【72_延命地蔵像】
【72_笠松大師】
【72_笠松大師】
2002年に枯死した弘法大師お手植えの「不老の松」で彫られた笠松大師。
【72_参道】
仁王門をくぐった参道。境内は、庭園のように整えられている。

札所72番 曼荼羅寺
出釈迦寺と2~300メートルしか離れていないですが結構雰囲気が違います。
どちらも綺麗な境内ですが、こちらは比較的に街中のお寺という感じです。
本堂
大師堂
笠松大師
「不老の松」と呼ばれた香川県指定の自然記念物が虫によって枯死したためお大師様のお姿を刻み留めたとのことです。

四国八十八ヶ所霊場第72番札所
樹齢1200年を超す弘法大師お手植えの「不老松」は、松食い虫に浸食され平成14年に伐採。
笠松大師・西行の昼寝石・笠掛桜
西行の昼寝石
笠掛桜
笠松と呼ばれていた「不老松」の幹に刻んだ弘法大師座像
不老松
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