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きやまじんじゃ

城山神社
香川県 讃岐府中駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

城山神社について

道真公の雨乞い伝説


太古から現在に至るまで水不足に悩まされている讃岐国。かつて讃岐国の国司に任じられていた菅原道真公が渇水に苦しむ民のために城山に登って雨乞いを行い、見事に雨を降らせました。民を救ったその功績から延喜式では名神大社として載せられ、ご祭神は讃岐国造の先祖であるため国府を守る神社として崇敬を集めていました。

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神祇伯
神祇伯
2019年06月28日(金)
1511投稿

讃岐国の三社の名神大社のうち、中讃地域に鎮座する神社です。初代讃岐国造を祀り、かつて坂出市にあった国府の総鎮守として崇敬を集めていました。

城山神社の鳥居

《一の鳥居》

城山神社の建物その他

《社号碑》

城山神社の手水

《手水舎》
キレイな水が張られています。

城山神社の狛犬

《拝殿と狛犬》
右側の獅子さん少し舌が出てます

城山神社の本殿

《拝殿》

城山神社の建物その他

社紋は丸の中に頭文字の「城」という独自のものです。

城山神社の末社

《末社・雨請天満宮》
☆チェックポイント!!
讃岐国が雨が降らず水不足に陥ったとき、国司として派遣されていた菅原道真公が城山神社に雨乞いをして、見事降らせた功績を讃え作られました。
香川県において水不足は現在に至るまで問題となっていますが、天気といった人間の力ではどうしようもないことに対しては本当に神様のお力次第です。

城山神社の建物その他

《社務所》
普段は無人です。

城山神社の建物その他

《土俵》

城山神社の歴史

《由緒書き》

城山神社の建物その他

現在も節分には豆まきが行われていたりと、地域に根ざした祭りを行う氏神神社として長く愛されている神社です。ちなみに御朱印あります。

2019/12/23 追記↓

神体山である城山に奥宮があるということで、行ってみました。

城山神社の建物その他

伝承で菅原道真公が雨乞いをしたということだったので、もしかしたらこの石の上で行われていたのかもしれません。

城山神社の末社

《奥宮》
小さな祠です。

城山神社の建物その他

周りには巨石がごろごろしており、磐座として神様を降し、祭祀を行なっていたと考えられます。
古代祭祀の場として残っている貴重な資料です。

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歴史

この社は延喜式内大社にして讃岐国三社の1つである。
伝説によれば第12代景行天皇の23年神櫛王勅命を受け南海の悪魚を討たんと讃岐の国に来り櫛梨山の麓を根拠に祓戸の神、大麻、大歳の神に祈りこれを退治す。
天皇これを賞し讃岐の国造に任ず。
王城山に城郭を築きこの国をよく治め給う。
王、仲哀天皇の8年9月15日御歳125歳にして薨す。
国人その徳を奉齋し城山の嶺明神ヶ原に廟を建て城山大明神神櫛別命として祀る。
これ城山神社の由来なり。
後清和天皇貞観5年従五位上に叙せられ、醍醐天皇延喜4年延喜式大社、明治36年県社となる。
又仁和4年時の国司菅原道真公は大干魃に際し「城中数社茲社尤霊」と城山の神に雨を請う。
神霊これに応え大雨ぞ降る。民人大いに喜び感極まり念仏を唱えながら踊り狂う。
これ今に残る念仏踊りにして、この社尊厳の一事なり、神宝として讃岐国城山神社記 菅丞城祖祭城山神文、渡唐天神御影他数点があり、境内境外末社数社を数える。
時経て、天慶3年藤原純友 正平17年細川清氏の兵火に罹りその都度御神体は印やく、北谷の地に祀れ現在に至る。
現建物は、本殿明治26年、拝殿天明6年、社務所大正8年の再建て大正9年と昭和60年に大修復されている。

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城山神社の基本情報

住所香川県坂出市府中町4760
行き方

JR予讃線「讃岐府中」から徒歩15分

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名称城山神社
読み方きやまじんじゃ
通称印鑰大明神
参拝時間

なし

参拝にかかる時間

10分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0877-48-1936
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主》神櫛別命
ご神体城山
創建時代仲哀天皇八年(199)
本殿春日造
ご由緒

この社は延喜式内大社にして讃岐国三社の1つである。
伝説によれば第12代景行天皇の23年神櫛王勅命を受け南海の悪魚を討たんと讃岐の国に来り櫛梨山の麓を根拠に祓戸の神、大麻、大歳の神に祈りこれを退治す。
天皇これを賞し讃岐の国造に任ず。
王城山に城郭を築きこの国をよく治め給う。
王、仲哀天皇の8年9月15日御歳125歳にして薨す。
国人その徳を奉齋し城山の嶺明神ヶ原に廟を建て城山大明神神櫛別命として祀る。
これ城山神社の由来なり。
後清和天皇貞観5年従五位上に叙せられ、醍醐天皇延喜4年延喜式大社、明治36年県社となる。
又仁和4年時の国司菅原道真公は大干魃に際し「城中数社茲社尤霊」と城山の神に雨を請う。
神霊これに応え大雨ぞ降る。民人大いに喜び感極まり念仏を唱えながら踊り狂う。
これ今に残る念仏踊りにして、この社尊厳の一事なり、神宝として讃岐国城山神社記 菅丞城祖祭城山神文、渡唐天神御影他数点があり、境内境外末社数社を数える。
時経て、天慶3年藤原純友 正平17年細川清氏の兵火に罹りその都度御神体は印やく、北谷の地に祀れ現在に至る。
現建物は、本殿明治26年、拝殿天明6年、社務所大正8年の再建て大正9年と昭和60年に大修復されている。

体験祈祷おみくじ御朱印お守り祭り伝説

Wikipediaからの引用

概要
城山神社(きやまじんじゃ)は、香川県坂出市府中町にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。
歴史
歴史[編集] 明神原遺跡 創建[編集] 社伝では、祭神の神櫛別命は、景行天皇の御代に南海で悪魚を退治した功で讃岐国造に任じられたという。のち館を城山に造営して住んでいたが、仲哀天皇8年に120歳で没した。その後、祠を建てその神霊を祀ったのが当社の始まりと伝える[1][2]。 神櫛別命に関しては、『日本書紀』にも「神櫛王(神櫛別命に同じ)は讃岐国造の祖である」と記載されている[3]。なお『先代旧事本紀』「国造本紀」では「神櫛別命三世孫の須売保礼命が応神天皇期に讃岐国造の任を賜った」と記しており[4]、讃岐国造一族の祖とする点では同じである。 また、社伝では元々は城山一峰に残る明神原遺跡(...Wikipediaで続きを読む
引用元情報城山神社 (坂出市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%9F%8E%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%9D%82%E5%87%BA%E5%B8%82%29&oldid=84438047
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