御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ

やしまじんじゃ(さぬきとうしょうぐう)

屋島神社(讃岐東照宮)
香川県 琴電屋島駅

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年09月19日(金)3127投稿

頭がうどんのことでいっぱいのまま車を走らせていました。
こちら屋島神社は お遍路で第85番札所八栗寺にお参りする際 前を通ったことがあり 今度絶対お参りするぞ!と思っていました。
すると なんと 大鳥居の横に 「ざいごうどん 本家わら家」 があるではないですか!
やったーうどん!ということで速攻お詣り。
お店の横を通り過ぎ 二の鳥居へ。
讃岐東照宮の大きな看板が二の鳥居の横にありました。
大きくはないけど個性的な表情の狛犬さんがいました。
鳥居をくぐり石段を上がると・・・社務所のある少し広い場所を通り・・・また石段でした。
うどんうどん!!こちらも一気に駆け上がり 神門の前へ。
残念ながら神門は閉じられていて 中に入ることはできませんでした。
中には 拝殿・本殿・神楽殿があったので 拝観したかったです。
東照宮と名の付く社殿ですから 彩色も見事だろうなぁと思ったのです。
仕方がないので 隙間から拝殿の覗き撮りをさせていただきました。
すぐ近くに境内社の山祇神社がありました。
こちらでもご挨拶。
神門の前で振り返ると 市街地と遠くの山々が美しく見えました。
あっついあっつい日で まったく涼む場所がなくて辛かったのですが 社務所に扇風機が置かれていて 御朱印を書いていただいている間に少しだけ涼むことができました。
ありがたかったです。
さーて待ちに待ったうどんタイムです。
お店はけっこう混雑していて 行列ができていました。
お店の方が 「ここから10分です」 とおっしゃったのですが 店に入れるまでに20分 店の中でも行列ができていて席に座るまでさらに10分かかりました。
席数は多くて回転は速かったです。
ぼっかけうどん(冷) うまかったです。
今回の旅はお参りだけではないので 巡った寺社の数は少なめですが 内容が充実していました。

ネット情報です。(遅い)
慶安4年(1651年) 高松藩の初代藩主である松平頼重が香川郡宮脇村の本門寿院境内に東照大神(徳川家康)を祀ったことに始まります。
文化元年(1804年)から約11年かけて 左甚五郎の六世 五代目の左利平忠能が棟梁となり屋島山麓に社殿を造営しましたが 昭和48年(1973年)に不慮の火災により神門以外の本殿 拝殿等を全焼しました。
本殿や拝殿は再建されましたが 鳳凰などの彫刻が刻まれた神門は当時のものです。
彫刻が刻まれた神門は左作です。

屋島神社(讃岐東照宮)(香川県)

ぼっかけ(冷)にしました

屋島神社(讃岐東照宮)(香川県)

ざいごうどん 本家わら家

他16枚の写真を見る
もっと読む
投稿をもっと見る|
23

歴史

当神社は慶安四年(1651)初代高松藩主松平頼重公が、香川郡宮脇村の本門寿院境内に東照大神(徳川家康公)の神廟を建立し、崇敬したのにはじまる。
 以来、山王社として歴代藩主により奉斎されてきたが、文化元年(1804)当時の高松藩主第八代松平頼儀公は、この風光明媚な屋島山麓において社殿の造営に着手する。左甚五郎の六世、五代目の左利平忠能が、松平家の客分棟梁となり、文化十二年(1815)に完成した。その後、明治四年には冠獄神社と改め、さらに明治七年屋島神社と改称、同年県社に列せられる。明治十五年藩祖松平頼重公を合祀する。昭和四十八年二月不慮の火災にあい、本殿、拝殿等を全焼したが、辛うじて神門(正面上部には鳳凰、両側の柱には上り龍 下り龍の彫刻)は無事であった。社殿は翌年十一月に再建され現在に至っている。

歴史をもっと見る|
6

屋島神社(讃岐東照宮)の情報

住所香川県高松市屋島中町140
行き方

屋島神社(讃岐東照宮)の基本情報

名称屋島神社(讃岐東照宮)
読み方やしまじんじゃ(さぬきとうしょうぐう)
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号087-841-9475

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

SNS

巡礼の詳細情報

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 徳川家康
《合祀神》
 松平頼重
ご神体不詳
創建時代慶安四年(1651)
創始者松平頼重
ご由緒

当神社は慶安四年(1651)初代高松藩主松平頼重公が、香川郡宮脇村の本門寿院境内に東照大神(徳川家康公)の神廟を建立し、崇敬したのにはじまる。
 以来、山王社として歴代藩主により奉斎されてきたが、文化元年(1804)当時の高松藩主第八代松平頼儀公は、この風光明媚な屋島山麓において社殿の造営に着手する。左甚五郎の六世、五代目の左利平忠能が、松平家の客分棟梁となり、文化十二年(1815)に完成した。その後、明治四年には冠獄神社と改め、さらに明治七年屋島神社と改称、同年県社に列せられる。明治十五年藩祖松平頼重公を合祀する。昭和四十八年二月不慮の火災にあい、本殿、拝殿等を全焼したが、辛うじて神門(正面上部には鳳凰、両側の柱には上り龍 下り龍の彫刻)は無事であった。社殿は翌年十一月に再建され現在に至っている。

ご利益
体験
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ