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釜石大観音ではいただけません
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釜石大観音のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年08月22日(火)
参拝:2023年7月吉日
岩手県釜石市に在る、釜石大観音、に参拝致しました、どの様な観音様かと引用を用いて調べて見ました、拝観料は大人500円、中、高生300円、子供100円、山号は明峰山、寺号は石応禅寺、宗派は曹洞宗、ご本尊は、魚藍観音像を中心に、左側に抜苦・与楽を司る聖観音、右側に除病・滅罪・招福を司る十一面観音が祀られています。 海上安全や合格祈願、良縁成就などのご祈祷や、永代供養、水子供養等、内部は恵比寿様や布袋様など七福神が安置され、七福神胎内めぐりをしながら202段のらせん階段を上るようになっている。 七福神のお力により7つの災いが消え、7つの福が授かるといわれている、歴史は、寛文5(1665)年、釜石を訪れた長安林存和尚が、軽米出身の小軽米左京之介の寄進を得て開創しました。
当初寺院が建立されたのは狐崎腰懸岩付近(現在の浜町)でしたが、数度の火災で被災。明治16年の大火を受けて全焼した後、明治26年、現在寺が建つ大只越町に場所を移し、十五世・中興智賢和尚が再建に着手しました。
明治26年に始まった寺の再建が、鐘楼堂落成の完成までに費やした時間は実に40有余年。大正11年4月、東北有数の仏閣を持つ寺院として再興を果たしました。
昭和52年に安置されたご本尊・釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩は、大東町の京仏師・佐久間白雲の作。寺院建築の棟梁を務めたのは花巻市の宮大工・南館喜六で、その一生を石応禅寺再建に捧げました。
十七世・雲汀晴朗和尚は、昭和40年、境内に無縁仏を供養する多宝塔を建立しました。供養を終え安心していたある日、和尚は霊夢のなかで、無数の無縁仏より観音様の建立を催促されます。和尚は走馬灯のように周囲を回転する仏達と、観音様の建立を約束したのだといいます。
明治29年6月の三陸大津浪、戦時中の2回にわたる大空襲で多くの犠牲者を出した釜石市。そんなこの地の歴史も踏まえ、苦悩する人々を救い、皆の幸せと世界平和を念願とし、大観音は建立されました。歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、絶景、景色、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。
当初寺院が建立されたのは狐崎腰懸岩付近(現在の浜町)でしたが、数度の火災で被災。明治16年の大火を受けて全焼した後、明治26年、現在寺が建つ大只越町に場所を移し、十五世・中興智賢和尚が再建に着手しました。
明治26年に始まった寺の再建が、鐘楼堂落成の完成までに費やした時間は実に40有余年。大正11年4月、東北有数の仏閣を持つ寺院として再興を果たしました。
昭和52年に安置されたご本尊・釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩は、大東町の京仏師・佐久間白雲の作。寺院建築の棟梁を務めたのは花巻市の宮大工・南館喜六で、その一生を石応禅寺再建に捧げました。
十七世・雲汀晴朗和尚は、昭和40年、境内に無縁仏を供養する多宝塔を建立しました。供養を終え安心していたある日、和尚は霊夢のなかで、無数の無縁仏より観音様の建立を催促されます。和尚は走馬灯のように周囲を回転する仏達と、観音様の建立を約束したのだといいます。
明治29年6月の三陸大津浪、戦時中の2回にわたる大空襲で多くの犠牲者を出した釜石市。そんなこの地の歴史も踏まえ、苦悩する人々を救い、皆の幸せと世界平和を念願とし、大観音は建立されました。歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、絶景、景色、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。
すてき
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