ふたつもりいなりじんじゃ
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歴史
人皇第百十二代霊元天皇、延宝二年(1674)伊達候が勧請した。
その後、陸奥守左中将吉村当社参詣の折、特に金幣を奉献した由伝えられる。その後、安政五年(1858)鷹匠頭松坂団治、伊達家の命により百寄塚を建ると共に、社殿修理したという。
明治維新の皇道復興の折布告あり、続いて明治四年(1871)胆沢県神社の格定めるに当り村社に列す。
草創以降詳細、考証等詳かならず、ただ古伝口碑に依るも祭祀は賑々しく崇敬者担当あり、現に旧暦八月十二日の例祭には五穀の種子を普く信仰者に授与し、信者よく業務に服するによってその霊験あり、故に翌年の例祭には新穀を神社に献納する慣例が今に続き、その種子を求むる者頗る多い。
国道相去村六原入口の有名な赤鳥居も、信仰者奉納によるものである。
名称 | 二ツ森稲荷神社 |
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読み方 | ふたつもりいなりじんじゃ |
通称 | 稲荷様 |
詳細情報
ご祭神 | 《主うかのみ》倉稲魂尊 |
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ご由緒 | 人皇第百十二代霊元天皇、延宝二年(1674)伊達候が勧請した。
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