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もうつうじ|天台宗

毛越寺の御由緒・歴史
岩手県 平泉駅

ご本尊薬師如来
創建時代嘉祥三年(850)
開山・開基慈覚大師円仁
ご由緒

1775(安永4)年に仙台藩に提出された⦅書出し⦆

嘉祥3年(850)慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっておりました。大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げた
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大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。これが毛越寺の起こりとされます。
寺名の読み
毛越寺はモウツウジと読みます。通常、越という字をツウとは読みませんが、越は慣用音でオツと読みます。従ってモウオツジ→モウツジ→モウツウジに変化したそうです(´∀`)

歴史
歴史[編集] 寺伝によれば嘉祥3年(850年)、中尊寺と同年に円仁が創建。その後、大火で焼失して荒廃したが、奥州藤原氏第2代基衡夫妻、および、子の第3代秀衡が壮大な伽藍を再興した。中世の歴史書『吾妻鏡』によれば、「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」があり、円隆寺と号せられる金堂・講堂・常行堂・二階惣門・鐘楼・経蔵があり、嘉祥寺その他の堂宇もあって、当時は中尊寺をしのぐ規模だったという。金堂の円隆寺は、金銀、紫檀をちりばめ、その荘厳は『吾妻鏡』に「吾朝無双」と評された。 鎌倉時代には鎌倉幕府にも保護されたが、嘉禄2年(1226年)に火災に遭い、戦国時代の天正元年(1573年)には兵火に遭って、長...Wikipediaで続きを読む
引用元情報毛越寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AF%9B%E8%B6%8A%E5%AF%BA&oldid=102215949

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