がっさんじんじゃ(ちゅうそんじおくのいん)
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楽しみ方月山神社(中尊寺奥の院)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年09月09日(火) 20時43分35秒
参拝:2025年8月吉日
松下の三峯神社のそのまた奥の山頂に鎮座する月山神社です。金色堂で有名な中尊寺や毛越寺を開いた慈覚大師円仁さんが勧請し、藤原清衡公が中尊寺を開基した際にその奥の院として再興したと伝わります。中尊寺の守護神としては北側にある白山神社が鎮守神として祀られているのは境内なので知られているとは思いますが、おそらくここは知らない人は全く認知していない秘境のような神社です。

《鳥居と獅子狛犬像》
三峯神社が麓にありその奥宮のように見えますが、当社は別に表参道が存在し、三峯神社のページに写真が投稿されていないのでページを新設しました。
三峯神社が麓にありその奥宮のように見えますが、当社は別に表参道が存在し、三峯神社のページに写真が投稿されていないのでページを新設しました。

《末社》

《拝殿》🙏
奥の院としてはあまり知られていないようで、参拝者は全くいません。
奥の院としてはあまり知られていないようで、参拝者は全くいません。

《本殿》
建物は簡素な木造で「月山権現」と書かれた扁額が割れて浜床に置かれています。ホントに知る人ぞ知る神社、という雰囲気です。
建物は簡素な木造で「月山権現」と書かれた扁額が割れて浜床に置かれています。ホントに知る人ぞ知る神社、という雰囲気です。


《和我叡登拳神社》
👁チェックポイント‼️
陸奥国胆沢郡の式内社に和我叡登拳神社があり、拝殿と本殿の間にあるこの盛り土のような上にある小さな祠、こちらが和我叡登拳神社です。本来当地にはこの和我叡登拳神社があり、古来から建物を設けない形で神社として成り立っていました。
その後慈覚大師が月山神社を建てた後はその中尊寺の隆盛もあって勢力は逆転し、境内社のような扱いになっています。
👁チェックポイント‼️
陸奥国胆沢郡の式内社に和我叡登拳神社があり、拝殿と本殿の間にあるこの盛り土のような上にある小さな祠、こちらが和我叡登拳神社です。本来当地にはこの和我叡登拳神社があり、古来から建物を設けない形で神社として成り立っていました。
その後慈覚大師が月山神社を建てた後はその中尊寺の隆盛もあって勢力は逆転し、境内社のような扱いになっています。

陸奥国胆沢郡鎮座の式内社はその殆どが起源を磐座や川などの自然物に対しての信仰であり、同じく式内社の磐神社が明治になるまで社殿を設けず御神体の巨石を囲む形で存在していました。そして当社とは御祭神が共通しています。

《麓の標識》
和我叡登拳神社は御祭神を荒覇吐(アラハバキ)神さまとしており、この地の統治者であった安倍氏が一族の守護神として祀っていました。後に安倍氏は源頼義・頼家公との戦いによって敗れ滅亡してしまいますが、その子孫は奥州藤原氏に嫁ぎ統治者としての役目ごと引き継ぎます。
清衡公が当社を中尊寺同様に再興したのも和我叡登拳神社が前任であり姻戚となった安倍氏の守り神であったからこそ、その立場を尊重して奥の院としたのかもしれませんね。
和我叡登拳神社は御祭神を荒覇吐(アラハバキ)神さまとしており、この地の統治者であった安倍氏が一族の守護神として祀っていました。後に安倍氏は源頼義・頼家公との戦いによって敗れ滅亡してしまいますが、その子孫は奥州藤原氏に嫁ぎ統治者としての役目ごと引き継ぎます。
清衡公が当社を中尊寺同様に再興したのも和我叡登拳神社が前任であり姻戚となった安倍氏の守り神であったからこそ、その立場を尊重して奥の院としたのかもしれませんね。
すてき
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神祇伯1693投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(9/7更新) 御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。もっと読む
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