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新山観音堂ではいただけません
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新山観音堂のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月09日(金)
参拝:2023年7月吉日
岩手県 一関市 花泉町に在る、奥州三十三観音、第十九番札所、新山観音堂 第十八番札所、六角堂同様、寺名のない個人が管理する在家別当の観音堂です。熊谷至氏が、管理しており、現在は宮城県仙台市に住んでるそうです、観音堂は普段は扉が閉まっていますが、参拝者が自由に開けて中を拝観することができるようになっています。御朱印は中に置かれており、こちらも松澤山六角堂と同様に、白紙の朱印帳と引き換えにいただきます(納経料300円)無い場合は500円です。
参道までの入口は少々わかりづらいですが、「十九番札所新山観音堂入口」と書かれた標柱から田んぼ道を300mほど進みます。舗装が途切れるところまで進むと、「新山観音堂」という標柱と参道が見えてきますこの観音堂の草創については記録が残っておらずよくわかっていませんが、江戸時代には羽黒派修験法印(山伏)によって祭祀が行われていたようです。
ちなみに地元では「お新山さま」の愛称で呼ばれており、鎮守のお社的存在として崇敬されているそうです。奥州三十三観音巡礼巡りは、その後盛衰を経て、宝暦11年(1761)気仙沼・補陀寺の智膏和尚により再興され、再興当時に各札所に収められたそれぞれの順礼札は、現在その多くが失われてしまい、県内でもわずかに2枚が現存するのみですが、そのうちの1枚が19番札所である新山観音堂に納められた納札です
参道までの入口は少々わかりづらいですが、「十九番札所新山観音堂入口」と書かれた標柱から田んぼ道を300mほど進みます。舗装が途切れるところまで進むと、「新山観音堂」という標柱と参道が見えてきますこの観音堂の草創については記録が残っておらずよくわかっていませんが、江戸時代には羽黒派修験法印(山伏)によって祭祀が行われていたようです。
ちなみに地元では「お新山さま」の愛称で呼ばれており、鎮守のお社的存在として崇敬されているそうです。奥州三十三観音巡礼巡りは、その後盛衰を経て、宝暦11年(1761)気仙沼・補陀寺の智膏和尚により再興され、再興当時に各札所に収められたそれぞれの順礼札は、現在その多くが失われてしまい、県内でもわずかに2枚が現存するのみですが、そのうちの1枚が19番札所である新山観音堂に納められた納札です
すてき
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