御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

かぶらはちまんじんじゃ

鏑八幡神社の御由緒・歴史
公式岩手県 土沢駅

ご祭神譽田別神(応神天皇)
田心姫神
端津姫神
市杵島姫神
息長帯姫神(神功皇后)
大己貴神(大国主命)  カグツチノカミ
保食神
ご由緒

創建は康平年間(1052~1063)頃と言われ、鎮守府将軍源頼義・義家父子が安倍頼時・貞任・宗任等退治の勅命を受けて、奥州へ下向の折り、義家がこの地へ布陣しました。義家は戦勝祈願の為、青砂を敷き、白羽の鏑矢を立て八幡菩薩の御霊とし、従臣もこれに従い各々鏑矢を立て、その数は十二本、それに太刀一振・祈願書一巻を奉納し、従臣共々祈願されました。その後みごと安倍氏を平定する事が出来たので此の地に社殿を建立しました。
 この鏑矢の由来を以て、村名を十二ヶ鏑矢村と称して来ました。ところが江戸時代・寛文7年、此の村名の由来を聞いた巡見使が「長すぎる」と言い、「十二ヶ村」と改めさせたために、以後は「十二ヶ村」と呼ぶことになったと伝えられています。
 明治3年4月の「十二ヶ村戸籍」に始めて「鏑八幡神社」の名称が記載されており、同5年3月に村社に列しました。
 現在の鏑八幡神社は正徳元年に再建したもので花輪市指定有形文化財となっています。又、土沢神楽舞は大償神楽直系の神楽とされ、歴史は道具の中に天保、弘化など江戸時代の年号が含まれている事からそれ以前から伝わっていると考えられています。土沢神楽舞は岩手県指定無形民俗文化財に指定されています。

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ