しんしょうじ|日蓮宗
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楽しみ方身照寺のお参りの記録一覧

桜の季節来て以来、2回目。
枝垂れ桜は凄く綺麗でした。葉桜も見事に垂れ下がりほうきの様に見えます。今回は前回出来なかった、宮沢賢治のお墓参りもかねています。

本堂




本堂前のフクロウがお出迎え




御朱印帳と幸福守り

その他お参りなど販売されています

芝で凄く綺麗に管理されています

宮沢賢治のお墓

2年前の夏、花巻市の身照寺に参拝した。
上智大学の島薗進先生の考える宮沢賢治の宗教観。思想。法華経に行き着いたわけ。
それから身照寺にと行ったわけだ。
7月に行った時に、「チックショー」と思ったのが枝垂れ桜であったのだ。
ということで、今回はリベンジ?
前回と同じくコミュニティバスに乗って身照寺さんに。遠くからも枝垂れ桜が目立つ。
2年前には、ムリ。登れない、とか騒いでいた石段。
軽々と登れた。
やったね!これでこの夏は身延山久遠寺の石段も平気だ。多分・・・
ライトアップされた桜は見事であった。
京都では速すぎた為に開花前。関東では桜満開の季節に鬱で休日は寝込み。
やっと桜を観られた東北。
物悲しくも幻想的な花。
日本に生まれた事に感謝したい。
花照らす 久遠の心 花巻に









花巻駅を降りると、宮沢賢治の色が・・・
と言いながらも、近年は大谷翔平に食われつつある。
新幹線の駅観光案内所には大谷翔平のコーナーもあり、ヤングはそちらに。
宮沢賢治、誰やねん?←東京弁。って感じだ。
私が宮沢賢治に興味を抱いたのは、上智大学教授で宗教学者の島薗進先生の著書からであった。
島薗進先生は、実家は浄土真宗の家であるのに法華経に傾倒していった宮沢賢治について、「救いを求めた人」という見方をしている。
時代背景もあろう。
確かにそうかもしれない。
宮沢賢治のお墓はどこだろう?と調べ、素敵な御朱印帳も販売されているようなので、さっそく訪ねることに。
花巻駅からコミュニティバスに乗り、簡単にお寺にと到着!
庭を観た時に、「やっちまったな」の感想が。
ここは、身延山久遠寺から頂いたという枝垂桜が有名らしいのだ。
ああ、春に来たら良かったのか。
対応してくださった僧侶は
「確かに4月頃がいいのですが、いつでも素晴らしいですよ」
と言われたが、枝垂桜が見たいんじゃーー。←東北弁
と、そんな私の悲しみを表すかのように雨がポツポツ。
仙台の友人に
「23日、雨降った?」
と聴くと、
「全然、暑かったよー」
とのことで、私はどこに行くにも雨を降らす女なのだ。
お寺の方に教えて頂いた宮沢賢治のお墓に。
自分で予定していた以上に時間を費やしてしまった。
宮沢賢治に想いを馳せていたのだ。
昭和3年宮沢賢治の叔父宮沢恒治ほか町有志及び有縁の信徒は敷地を求め堂宇を建立して、これを南部日実上人に寄進しました。熱心な法華経の信者であった宮沢賢治は、このとき叔父の求めに応じて「法華堂建立勧進文」を創案しています。
その後、町有志、信者の努力によって身照寺(身延寺)を継承して昭和21年(1946)遠光山身照寺と称するようになりました。昭和26年宮沢家の菩提寺であった安浄寺(浄土真宗)より身照寺へ改宗されました。(花巻市観光協会より)
宮沢賢治の実家は熱心な浄土真宗だったが、賢司は自ら求めて法華経に。そして家族も日蓮宗に改宗したのだった。
ここのお寺の案内によると、宮沢賢治のお骨はここ以外にありません、と。
有名人だと分骨があるが、宮沢賢治の場合はないのだそうだ。
ここに彼の信仰を見る思いがしたのだった。
オリジナルの御朱印帳も素敵だった。
暖かく迎えてくださった僧侶の笑顔に感謝したい。


公園から看板が観えるので有難い。











素敵な御朱印帳。
宮沢賢治は青のイメージだ。

バス停のすぐ前に、宮沢賢治がかつて勤務していた農学校跡地がある。
今はぎんどろ公園になっている。桜の季節にくるべきだったか・・・


花巻駅からコミュニティバスに乗り、お寺の近くまで行く。市が運営する巡回バスというのは、大体は総合病院を経由するで、安く本数も多い。
100円で1時間ごとにあった。

岩手県花巻市に境内を構える、身照寺、宮沢賢治の墓所で有名な寺院です、花巻市駅から10分位に在り、特に春の桜咲く頃に寺内に有る枝垂れ桜との景観が素晴らしい。どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は遠光山、寺号は身照寺、寺格は身延別院、宗派は日蓮宗、ご本尊は大曼陀羅御本尊、遠野南部家の菩提寺として南部政光(南部氏8代)が奥州八戸に建立した身照寺(身延寺)は天正19年(1591)焼失以来廃寺となっていましたが、政光の子孫である山梨県身延町鏡円坊住職南部日実上人は、これを残念に思い再建を発願しその地を花巻と定めました。
昭和3年宮沢賢治の叔父宮沢恒治ほか町有志及び有縁の信徒は敷地を求め堂宇を建立して、これを南部日実上人に寄進しました。熱心な法華経の信者であった宮沢賢治は、このとき叔父の求めに応じて「法華堂建立勧進文」を創案しています。
その後、町有志、信者の努力によって身照寺(身延寺)を継承して昭和21年(1946)遠光山身照寺と称するようになりました。昭和26年宮沢家の菩提寺であった安浄寺(浄土真宗)より身照寺へ改宗されました。御朱印が豊富で見開き、オリジナル御朱印帳等在ります、住職さんとても気さくに色々話して頂けます。パワースポット、仏閣、神社巡り、癒し処、絶景、景色撮影、歴史的建造物、宮沢賢治、岩手県 花巻市観光、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。








宮沢賢治の菩提寺である身照寺
ここへ来る途中、賢治の史跡巡りもしました。
こちらの素敵な御朱印と、御朱印帳は
宮沢賢治ファンにはたまりません!

御朱印

はさみ紙

銀河鉄道の夜を彷彿させる素敵な御朱印帳です

宮沢賢治の墓の前で祈願した幸福守

宮沢賢治の墓
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