しかりわけじんじゃ
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志賀理和氣神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《合》大己貴命,少彦名命,猿田彦命,保食神,船霊命,《主》経津主命,武甕槌命 | |
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創建時代 | 延暦23(824)年 | |
創始者 | 坂上田村麻呂 | |
ご由緒 | 延暦二十三年(804)坂上田村麻呂が東北開拓の守護神である香取、鹿島の二神を当地の鎮守として斯波加里の郷鳰が磯野(現在地)に勧請合祀したと伝えられている。爾来、東北六郡を領した藤原秀衡の族、樋爪氏を始め、高水寺城主斯波氏など当地を領した累代領主の厚い尊崇を受けた。
御由緒
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 社伝では、延暦23年(804年)に坂上田村麻呂が、東北開拓守護神として経津主命(香取神)・武甕槌命(鹿島神)を勧請したことに始まるという[1]。 9世紀初頭において、一帯では志波城造営(803年)・斯波郡(紫波郡)建置・徳丹城造営(811年)などの開拓が進んでおり、当社も蝦夷平定の報謝と一帯の鎮護のため、その時期に創建されたと見られている[2][3]。奥羽の式内社では地主神を包摂しつつ中央神を勧請して創建される例が多いが、当社がその場合にあたるかは明らかでなく、神名「志賀理和気」の由来も定かではない[3]。 概史[編集] 国史での初見は、仁寿2年(852年...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「志賀理和氣神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BF%97%E8%B3%80%E7%90%86%E5%92%8C%E6%B0%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102281844 |
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