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あさぎしやくしじんじゃ

浅岸薬師神社のお参りの記録一覧
岩手県 山岸駅

サンダー
サンダー
2025年08月04日(月) 15時41分30秒
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特徴のある書体で書き入れて戴ける御朱印が評判らしい。前の神社で下調べをしていると、中々宮司様がいらっしゃる時に参拝するのが困難らしいと知りましたが、予定していたので向かいましたところ、丁度参拝してる時に宮司様がいらっしゃり御朱印を戴けました。薬師神社がメインでしたが、横に連なる在庁神社が非常に興味深い。御祭神の真田式部清鏡は諸説あるが、真田幸綱(幸隆)の庶子という説もあります。(真田幸村の叔父ということになります)羽黒山の修験者となり、九戸政実の乱の際には南部宗家側に立ち恩賞を得ます、が城内に宿泊中些細なことから憤慨して切腹、自らの腸を城門にたたきつけたという人物です。(Wikipediaより)神社の由緒書によると、その些細なこととは「ある時、利直の姫が流行り病に罹り、なかなか治らず清鏡に治癒のあかつきには姫を差し上げる約束をし、祈祷をお願いしました。真心込め平癒祈祷を清鏡は行い、その験のおかげで姫はみるみる元気になりました。ところが利直は「嫁にくれる」約束を果たさず、約束を反故にされた清鏡は怒り狂い、不来方城門で切腹をし腸を叩きつけました。その亡骸は上流の中津川に流され、薬師神社の前に流れ着き、それを哀れ悲しんだ人々はお城に背を向けお社を建て、御霊を慰めた」とのことです。理由はともあれ非常にまっすぐで剛毅な方だったようで惹かれる人物ですね。その後南部家に祟りが続き、その霊を治めるために利直公は清鏡荒神社を創建し道鏡の霊を鎮めたとのこと。清鏡の墓は羽黒山奥之院の荒沢寺と羽黒山麓の金剛寺院にあると云います。又南部町の若宮八幡神社内に真田式部少輔清鏡墓と書かれた標柱があり、こちらは南部家の館、菩提寺のあった聖寿館跡になります。気になって調べましたが、この清鏡荒神社の詳細は判りませんでした
本社から少し外れましたが、幸運にも滅多に戴けない御朱印を戴いたことで浮足立ったか、駐車場の二の鳥居脇にある境内社(蛇神・龍神)を完全に見落としていました。残念!

浅岸薬師神社(岩手県)

大正十年(1921)奉納の社号標「薬師神社」

浅岸薬師神社(岩手県)
浅岸薬師神社(岩手県)

社号標「在聴神社」

浅岸薬師神社(岩手県)

大正九年(1920)奉納の一の鳥居

浅岸薬師神社(岩手県)
浅岸薬師神社(岩手県)

神楽殿

浅岸薬師神社(岩手県)

二の鳥居

浅岸薬師神社(岩手県)
浅岸薬師神社(岩手県)

由緒書

浅岸薬師神社(岩手県)

狛犬

浅岸薬師神社(岩手県)
浅岸薬師神社(岩手県)

石段

浅岸薬師神社(岩手県)

手水舎

浅岸薬師神社(岩手県)

手水鉢

浅岸薬師神社(岩手県)
浅岸薬師神社(岩手県)

神農神

浅岸薬師神社(岩手県)

薬師神社拝殿 御祭神:少名彦名命

浅岸薬師神社(岩手県)

扁額

浅岸薬師神社(岩手県)

本殿

浅岸薬師神社(岩手県)

幣殿

浅岸薬師神社(岩手県)

本殿

浅岸薬師神社(岩手県)

在廳神社拝殿 御祭神:真田在庁清鏡

浅岸薬師神社(岩手県)
浅岸薬師神社(岩手県)

扁額

浅岸薬師神社(岩手県)

境内社 駒形神社(馬頭さん) 御祭神:駒形大神 この地区はかつて馬が無くなると葬るところがあり、「馬捨て山」と呼ばれ、社を建て祀っていたものを昭和二十四年(1949)薬師神社境内に遷座

浅岸薬師神社(岩手県)
浅岸薬師神社(岩手県)
浅岸薬師神社(岩手県)
浅岸薬師神社(岩手県)

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