みまなひこじんじゃ
美麻奈比古神社石川県 穴水駅
参拝/24時間
#美麻奈比古神社 #白山神社
ご祭神はミマナヒコの神、ミマナヒメの神、ククリヒメの命。合祀神に崇神天皇、サルダヒコの神、祇園神、アマテラス大神、ウカノミタマの神、タケミナカタの神。
#美麻奈比古神
パンフによれば、任那から渡来した集団が祀った火の神・生産神。能登は対馬海流が打ち寄せ、こうした渡来系人格神が多いと。
確かに、能登(石川県北部)では大陸から渡ったとされる神様がちらほら見られる。まず、阿良加志比古神社(七尾市)のアラカシヒコの神。久麻加夫都阿良加志比古神社(同上)では、彼に加えて日本書紀に登場するツヌガアラシトの神をも祀る。
そう考えると、がぜん気になるのが久氐比古神社(鹿島郡中能登町)。ご祭神は古事記でオオクニヌシの神に助言したクエビコの神とされるが、ひょっとしてクテイ(久氐)じゃないかと思えてくる。日本書紀で、神功皇后の時代に百済から何度か使者として来日し、共に新羅にも出兵したとされる。
あくまで僕の想像だ。
#美麻奈比咩神
パンフによれば、ヒコは男性首長や身分の高い男子の尊称なのに対し、ヒメは祭祀的に優れた女性だと。
長谷部忠信が大般若経を奉納している。社僧も多く北八坊、南八坊の十六坊(惣号川島寺)が存在したが、天正5年(1577)の上杉勢の浸入により衆徒は離散した。近世では穴水郷36ケ村の総社として崇敬され、総持寺からも明和8年(1771)に朱漆塗瓶子一対が奉納されている。春祭りは(4月18日)「お頭祭り」ともよばれ、古くは36カ村より頭人が選出され、厳重な潔斎のうえ種々の神事が執行された。お頭は昭和40年代まで川島区4人一組でおこなわれたが現在は中断している。しかし祭礼は乙ケ崎海岸の火宮神社で神迎えをし、乙ケ崎区の獅子舞が先導する古い形を現在も継承している。元禄7年(1694)以降のお頭帳が現存し、当(頭)屋祭研究の重要史料となっている。また新たに氏子入りした花嫁が参拝する「ゲンゾ」参りも著名。秋祭り(9月15日)は能登では珍しく、キリコと山車15台ほどが入り乱れて秋の夜に競演する。なお昭和30年代まで美麻奈比咩神社の旧社地である二十九日地区において、鎮火祭・茅の輪くぐりの神事(6月30日)がおこなわれた。
名称 | 美麻奈比古神社 |
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読み方 | みまなひこじんじゃ |
参拝時間 | 参拝/24時間 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0768-52-0244 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 美麻奈比古神 美麻奈比咩神 菊理媛神 宇迦之御魂神 猿田毘古神 |
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ご由緒 | 長谷部忠信が大般若経を奉納している。社僧も多く北八坊、南八坊の十六坊(惣号川島寺)が存在したが、天正5年(1577)の上杉勢の浸入により衆徒は離散した。近世では穴水郷36ケ村の総社として崇敬され、総持寺からも明和8年(1771)に朱漆塗瓶子一対が奉納されている。春祭りは(4月18日)「お頭祭り」ともよばれ、古くは36カ村より頭人が選出され、厳重な潔斎のうえ種々の神事が執行された。お頭は昭和40年代まで川島区4人一組でおこなわれたが現在は中断している。しかし祭礼は乙ケ崎海岸の火宮神社で神迎えをし、乙ケ崎区の獅子舞が先導する古い形を現在も継承している。元禄7年(1694)以降のお頭帳が現存し、当(頭)屋祭研究の重要史料となっている。また新たに氏子入りした花嫁が参拝する「ゲンゾ」参りも著名。秋祭り(9月15日)は能登では珍しく、キリコと山車15台ほどが入り乱れて秋の夜に競演する。なお昭和30年代まで美麻奈比咩神社の旧社地である二十九日地区において、鎮火祭・茅の輪くぐりの神事(6月30日)がおこなわれた。 |
体験 | 御朱印 |
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