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Gauche Ingalls
2024年01月31日(水)
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#伊須流岐比古神社

ご祭神はイスルギヒコの神とイザナギの尊。石川県鹿島郡中能登町と富山県氷見市の境目にそびえる、石動(せきどう)山の頂上に鎮座する。富山県には石動(いするぎ)という地名もある。

#伊須流岐比古神

富山県民と石川県民の不仲さは、今や全国放送のバラエティ番組でネタになるほどの公知の事実だ。だがこれ、下手をすれば神代から続く因縁かもしれない。

イスルギヒコの神は現在の富山市・舟倉の女神アネクラヒメの命と将来を誓い合っていたが、能登に住むノトヒメの神にたぶらかされ、彼女と結婚。その後もアネクラヒメの命に挑発をくり返し、ついには能登と越中、双方の妖精たちまで巻き込む戦争へと発展した。騒乱はタカミムスビの尊の意を受けたオオクニヌシの神が鎮圧。イスルギヒコの神とノトヒメの神は処刑されたという。
石動山の帰属をめぐって能登と越中の間でいさかいがあり、この神話はそれを反映している、と想像するのは容易だ。が、実際に誰かがそのように主張するのは見たことがない。
なお、これはあくまで富山側の神話。ここ伊須流岐比古神社や、ノトヒメの神を祀る能登比咩神社(中能登町)では、そのような話は全く聞かない。特に能登比咩神社は、ノトヒメの神がオオクニヌシの神と結婚したとする。イスルギヒコの神を巡ってアネクラヒメの命と争った、という伝承とは両立しがたいように思う。

伊須流岐比古神社の御朱印
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歴史

式内の古社で、崇神天皇6年の創建と伝え、治承4年勅使藤原家通の参向あり。歴代の勅願所にて、中世5社大権現と称して、別当360余坊、衆徒3000を擁す。中世以来、しばしば戦場となる。暦応4年足利尊氏社殿再建。天正11年朝廷の命により、羽柴秀吉再興。現本殿は承応2年前田利常の再建。明治5年に郷社。

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伊須流岐比古神社の基本情報

住所石川県鹿島郡中能登町石動山子乙1
行き方
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名称伊須流岐比古神社
読み方いするぎひこじんじゃ
通称五社大権現
御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《合》水波能売命,《主》伊須流支比古神,伊弉諾命,《配》伊弉冊命,天目一箇命,迦具土命,素盞嗚命
ご由緒

式内の古社で、崇神天皇6年の創建と伝え、治承4年勅使藤原家通の参向あり。歴代の勅願所にて、中世5社大権現と称して、別当360余坊、衆徒3000を擁す。中世以来、しばしば戦場となる。暦応4年足利尊氏社殿再建。天正11年朝廷の命により、羽柴秀吉再興。現本殿は承応2年前田利常の再建。明治5年に郷社。

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