なたでら
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那谷寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年11月06日(日)
参拝:2022年11月吉日
石山の石より白し秋の風 奥の細道 松尾芭蕉
これは那谷寺を参拝された俳聖松尾芭蕉が、巨大な奇岩を前に詠んだ句だ。
宗派の上では、高野山真言宗となっているが、そこにあるのは、白山信仰を母体とする自然崇拝だ。
五木寛之先生は、那谷寺に行った時の感想をこんな風に書いている。
那谷寺と書いて、ナタデラと読むのは、どんな意味があるのだろう。北陸では、つとに有名な寺である。
「見て知りそ 知りて な見そ」
とは、有名な柳宗悦の「心うた」の中に出て来る文句だが、今度もそのことをしみじみ感じさせる那谷寺行だった。
もともと白山の周辺は、異様な文化混合のアジール(アジールとは、犯罪人や奴隷などが過酷な侵害や報復から免れるために逃げ込んで保護を受ける場所のこと。 ギリシア語のasylos(害されない、神聖不可侵の意)に由来する。)である。
また、白山信仰についても入り組んだ諸説があった。かつて十五世紀に蓮如が吉崎に進出した際には、在地の先住教団との間に、様々な対立や問題が多発しやことも記録に残っている。
那谷寺は予想していたよりも、はるかに複雑で、興味深い寺だった。そこには白山と重なる「白」への信仰が息づいている。
火山岩にうがたれた洞穴を生と死の転生する胎内と考え、そこから死を仲立ちとした再生をはかる信仰の背後には、半島からインドに及ぶ「白」崇拝の系譜があるのかもしれない。「白」を「浄」とみなす思想の根は「黒」を「穢」(え)とする感性と、どこでつながっているのだろうか。
この寺を訪れた芭蕉の有名な俳句「岩より白し秋の風」には、感性としての白だけでなく、白山とつらなる「白」信仰への目配りが込められているのだろう。~旅のヒントより~
とにかく、その広大さに驚くばかりであった。
多くの信仰を受け入れる。それは旧き日本の良さを表すものであろう。
訪れた時には、「白」よりも、紅葉の「紅」の強さが際立っていた。
素晴らしい聖地であった。
これは那谷寺を参拝された俳聖松尾芭蕉が、巨大な奇岩を前に詠んだ句だ。
宗派の上では、高野山真言宗となっているが、そこにあるのは、白山信仰を母体とする自然崇拝だ。
五木寛之先生は、那谷寺に行った時の感想をこんな風に書いている。
那谷寺と書いて、ナタデラと読むのは、どんな意味があるのだろう。北陸では、つとに有名な寺である。
「見て知りそ 知りて な見そ」
とは、有名な柳宗悦の「心うた」の中に出て来る文句だが、今度もそのことをしみじみ感じさせる那谷寺行だった。
もともと白山の周辺は、異様な文化混合のアジール(アジールとは、犯罪人や奴隷などが過酷な侵害や報復から免れるために逃げ込んで保護を受ける場所のこと。 ギリシア語のasylos(害されない、神聖不可侵の意)に由来する。)である。
また、白山信仰についても入り組んだ諸説があった。かつて十五世紀に蓮如が吉崎に進出した際には、在地の先住教団との間に、様々な対立や問題が多発しやことも記録に残っている。
那谷寺は予想していたよりも、はるかに複雑で、興味深い寺だった。そこには白山と重なる「白」への信仰が息づいている。
火山岩にうがたれた洞穴を生と死の転生する胎内と考え、そこから死を仲立ちとした再生をはかる信仰の背後には、半島からインドに及ぶ「白」崇拝の系譜があるのかもしれない。「白」を「浄」とみなす思想の根は「黒」を「穢」(え)とする感性と、どこでつながっているのだろうか。
この寺を訪れた芭蕉の有名な俳句「岩より白し秋の風」には、感性としての白だけでなく、白山とつらなる「白」信仰への目配りが込められているのだろう。~旅のヒントより~
とにかく、その広大さに驚くばかりであった。
多くの信仰を受け入れる。それは旧き日本の良さを表すものであろう。
訪れた時には、「白」よりも、紅葉の「紅」の強さが際立っていた。
素晴らしい聖地であった。
すてき
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かおり1322投稿
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