國土神社のお参りの記録一覧
田谷沼を見下ろす神社、國土神社。沼の南側にあります
鳥居です。田谷沼の南側を坂戸神社と守るように國土神社があります
祭神は、大己貴命、別名、大国主命ですが、因縁の武甕槌命のお膝元、鹿嶋市で肩身が狭い思いではないでしょうか。
この神社は何故大国主命を祭神にしたのでしょうか…謎ですねぇ…案外、流行りだったというオチかもしれないですね。
立派な拝殿です。
『鳥居クグルの神社日記』【1】
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今日、ジャギーさんと『水神社』で待ち合わせしてるんですけど、自転車で向かう途中、タイヤがパンクしてしまって...
でも、自転車を押して向かっている途中、別の神社を見つけました!
『国土神社』だそうですよ。
こちらの神社を含めて、この辺り一帯は、何か、聖域という感じなんですよねぇ..
周囲に民家はあるんですが、人の行き来がなくて、不思議な雰囲気なんですよ..
境内は掃き浄められていますね。
綺麗にされてます..
うっすらと苔が生えてますね!
おっ、こんな、小さい賽銭箱がついてますよ!
カワイイですね。
境内の木も年季を感じますねぇ..
いや~心洗われます..
あっ、ジャギーさんからメールが..
《まだ?》
待ってるみたいなので..
ではでは、皆さん、これで失礼します!
《ミックジャギーの神社探訪【19】に続く》
撮影/鳥居クグル
鹿嶋市山之上馳駆にある国土神社にお詣りしてきました。
鹿島神宮の摂社坂戸神社から西側数百メートル程離れた位置にあります。坂戸神社をお詣りしたついでに見つけました。特に予備知識無かったので、サクッとお詣りして帰る予定でした。
この山之上地区は、水神社の投稿でも書きましたが、巾着状にすぼまった谷津の台地側にあり、左手に例えたときの親指と人差し指で丸い輪を作った島のような地形になっています。台地から舌状に延びた半島の付け根部分に空濠を作ると天然の城郭になり、後年鹿島氏が鹿島の地に入った際の初めの城がこの地だったそうです。現在では道路が通っているため空濠が埋められてしまってますが、周囲の土手の形状で空濠の存在を確認できます。
見上げると樹叢がコロニー状になっていていい感じです。一本一本が違う樹木でも、時間が経つにつれ一つの生き物のようにかたちが整ってきます。上空から見ればブロッコリーの株のようになっていると思います。
社殿の後ろに太い椎の木があります。
鳥居の縄に赤とんぼがとまっていました。写真におさめるべくスマホを向けて居ると、後ろから走って来た軽トラが神社脇に停車しました。また不審者扱いか?と身構えましたが、意外にも気さくに話しかけて下さいました。この方、郷土史にめちゃくちゃくわしいスーパー博識おじいちゃんで、近所にお住まいとのことでした。
「ここの神様知ってる?」(いえ、知りません。)「大巳貴命(オオナムチノミコト)と言って大国主命の若い頃の呼び名なんだよ。国譲りで敵対した神様が鹿島におられるのは不思議だよね。」確かに不思議です。 大和朝廷の東北侵攻が盛んになるにつれここ山之上の郷社だった坂戸社が国家神に昇格してしまい、代わりに作られた神社のご祭神が大国主命だなんて意味深すぎます。このほかにもこの近くにたたら製鉄の遺跡があること、隣の家の建て替えのとき発掘調査が行われ墨書土器が出土したこと、この地にあった城「竜会城」は「流海(るかい)」に通じることなど博識おじいちゃんの話は一時間近くにおよびました。
博識おじいちゃんに教えて貰った竜会城跡の坂道を降りながら、上には上がいるな~と感心しました。
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