ごんげんづかこふん
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権現塚古墳のお参りの記録(1回目)
投稿日:2018年08月13日(月)
神栖市日川(にっかわ)地区にある権現塚古墳にお詣りしました。
ここは神栖市に唯一残る古墳時代前期に作られた前方後円墳です。神社は後から作られたもので、恐らくは祠のようなものから発展して今の形になったと思われます。社名も探したのですが手がかりはつかめず、今回ホトカミ運営さんからの了解を得て登録させていただきました。
ここに訪れたのは、鹿島神宮の一之鳥居の案内板に書かれていた記述によります。鹿島神宮南の一之鳥居の場所について、東の鳥居の案内板では息栖神社の鳥居とし、北の鳥居の案内板では日川としています(息栖と日川では6km程離れています)。この矛盾を解消するのに手がかりとなるのが、息栖神社にある案内板です。807年浮洲の浜の日向(日川)から現在の息栖へ御遷座されたと。つまり、鹿島神宮南の一之鳥居とは御遷座される前の息栖神社の鳥居ではないか?ということになります。場所はわかりません。でも、経験則で古い神社の近くには古墳があることが多いのでこの辺りではないかと推測してやって来たのでした。
田んぼのあぜ道と兼用の参道を進むと鳥居が見えてきます。通常だと中央に社名が書かれていることが多いのですが、ここでは白地のまま何も書かれていません。
古墳のいわれが書かれています。古い歴史のある場所であることがわかります。神栖市は海進で水没したり川の氾濫などで地形が変形したりとしたので、現在の地形になったのはわりと最近のことです。
円墳側の頂上に祠があります。
祠の左側に方墳があります。
古墳周辺を車で捜索してみると数百メートル離れた場所に何やら記念碑が。
なんと息栖神社の案内板が。この日川地区に息栖神社の前身となる祠があったという内容です。名称と場所は特定できませんが概ねこの辺りだったのでしょう。従って鹿島神宮南の一之鳥居もここにあったということになります。
ここで改めて、息栖神社と香取神宮、鹿島神宮を線で結んでみると、正三角形になります。このことに意味が有るかどうかは解りませんか、非常に興味深いことではあります。
ここで改めて、息栖神社と香取神宮、鹿島神宮を線で結んでみると、正三角形になります。このことに意味が有るかどうかは解りませんか、非常に興味深いことではあります。
神栖市歴史民俗資料館に展示されている権現塚古墳のレプリカです。
左が縄文時代、右が古墳時代の地形です。徐々に陸地化しているのがわかります。その過程で、沖にできた洲を祀ったのが息栖(沖洲)神社の始まりなのかもしれません。
すてき
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