ちょうしょうじ|臨済宗妙心寺派|海雲山
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楽しみ方長勝寺のお参りの記録一覧

山号は海雲山、寺号は長勝寺、宗旨 宗派は臨済宗 妙心寺派、ご本尊は釈迦如来、常陸七福神、福禄寿、長勝寺は江戸時代初期に既に衰退していた為、正確な由緒は伝わらず創建年等は詳細は不詳です。そこで、長勝寺に伝わる銅鐘(国指定重要文化財・土浦市の等覚寺と土浦市の般若寺と梵鐘と共に常陸三古鐘)が大きな意味を持ちます。長勝寺銅鐘には銘が刻まれており、これにより文治元年(1185)に右大将殿(源頼朝)の時代に長勝寺が開山した旨が判ります。又、この銅鐘は元徳2年(1330)に大檀那として相模禅定門崇鑑(鎌倉幕府第14代執権:北条高時)、大施主として下総五郎禅門道暁(下総地方の御家人:山川五郎入道光義)、住職として伝法沙門妙節、製作者として甲斐国(現在の山梨県)出身の権守助光、鐘銘並びに序文の作者は円覚清(鎌倉円覚寺16世清拙正澄大鑑禅師)、鎌倉殿(源頼朝)の追善供養として制作奉納された事が判ります。
元禄年間(1688~1704年)には水戸藩(藩庁:水戸城)2代藩主徳川光圀は荒廃した長勝寺を憂い太嶽和尚を招いて中興開山し堂宇などが再建されています。楼門・方丈・書院・玄関・隠寮・庫裡(茨城県指定重要文化財)などは元禄年間当時のものでその後は幕府から庇護され寺領10石の朱印状を賜り、寺運も隆盛しています。臨済宗妙心寺派の古刹として多くの寺宝を所有しており、境内も室町時代から江戸時代にかけて建てられた古建築で構成され当時の繁栄が感じ取れます

常陸七福神、福禄寿、朱印です。

海雲山 長勝寺、朱印です。










源頼朝が文治三年(1185)武運長久を祈願して建てたといわれる古刹です。
なんといっても、茅葺きの本堂は圧巻です。どの角度から撮ったら伝わるか、、とにわかカメラ小僧になりましたが、やっぱりあの迫力は見ないとなぁ、、
寺務所も年代物で、毎年修繕をして大切にしているとスーツ姿のご年配の奥様が仰ってました。その奥様も高齢でありながら赤のスーツをきっちりお召しになっていて、その凛としたお姿は美しかったですね。
あやめ祭りには建物内を開放してお抹茶が頂けるそうです。


参道は長いです。

立派な山門

普門院から移築された山門は元禄時代に13年をかけて作られた、県の文化財です。

まだ続きますよ。

茅葺きの本堂

その前に勢至堂があります。

あら!猫ちゃんがいるのかしら、、


本堂

全面の扉の細工が綺麗

文治梅
古木でも咲きます!


寺務所へ

ふれ愛観音様
絵馬がたくさんありますね。

福禄寿
七福神巡りにもなってます。

窓越しにお参り

御朱印を頂きます。
古い建て物で、驚きです。

天井が高く、梁も太い



潮音寺のおじさんが勧めてくれた長勝寺に行ってみました。
確かにここも凄い・・・!!(; ロ)゚ ゚
藁葺き屋根の大きな本堂があり、潮音寺の方が近代的な大伽藍だとすれば、こちらは古式ゆかしき大伽藍。
実は本堂の前に着いた時に、ちょうど法事か勤行で朗々とした読経が始まり、あまりの美しさに感動して動画で撮ってしまった・・・(;∀; )
そのため本堂が写ってる写真がほとんどなくてすみません(^o^;)
裏手にある居宅兼寺務所もまるで武家屋敷か老舗旅館のような見事な古民家でした。
玄関で待ってる間にお寺のお嬢さんと思われるおかっぱ頭の女の子が走って部屋を横切ったのですが、ホント座敷わらしが出たのかと思ったw゚+.゚(´▽`人)゚+.゚













平成29年に参拝しました。
ご住職が御朱印の墨書にある無量寿について丁寧に教えて下さいました。
有り難うございました✨

「無量寿」の御朱印です。

常陸七福神
海雲山 長勝寺
「福禄寿」
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