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素鵞熊野神社ではいただけません
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素鵞熊野神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年08月02日(月)
参拝:2021年7月吉日
素鵞神社のご祭神は須佐之男すさのお命と奇稲田姫くしいなだひめ命。熊野社は伊弉諾いざなぎ尊、伊弉册いざなみ命、速玉男はやたまお命、事解男ことさかお命です。
名前の通り二社(素鵞社と熊野社)がひとつになった神社です。
素鵞社は天安2年(858年)に浪逆浦から流れ着いたお神輿を辻村天王原に祀ったことがはじまりです。文治4年(1185年)に天王河岸へ遷宮。板久牛頭天王と呼び、四丁目から西の鎮守となりました。元禄5年(1692年)、水戸光圀が領地を巡視した際、火災の心配があるとし同9年(1696年)に現在の地に遷されました。
熊野社は天正年間(1573-1586年)に紀州(いまの和歌山県)の熊野三社を信仰していた村人が分霊を迎えたことにはじまります。熊野三社大権現と呼び、五丁目以降東の鎮守としてお祀りしました。素鵞社と同じく光圀の命によりいまの場所に遷されました。
二社はそれぞれ牛頭天王、熊野三社大権現と呼ばれていましたが、水戸藩の神道分離の政策により、素鵞神社、熊野神社と改称。
明治10年(1877年)に素鵞熊野神社と一体となったそうです
名前の通り二社(素鵞社と熊野社)がひとつになった神社です。
素鵞社は天安2年(858年)に浪逆浦から流れ着いたお神輿を辻村天王原に祀ったことがはじまりです。文治4年(1185年)に天王河岸へ遷宮。板久牛頭天王と呼び、四丁目から西の鎮守となりました。元禄5年(1692年)、水戸光圀が領地を巡視した際、火災の心配があるとし同9年(1696年)に現在の地に遷されました。
熊野社は天正年間(1573-1586年)に紀州(いまの和歌山県)の熊野三社を信仰していた村人が分霊を迎えたことにはじまります。熊野三社大権現と呼び、五丁目以降東の鎮守としてお祀りしました。素鵞社と同じく光圀の命によりいまの場所に遷されました。
二社はそれぞれ牛頭天王、熊野三社大権現と呼ばれていましたが、水戸藩の神道分離の政策により、素鵞神社、熊野神社と改称。
明治10年(1877年)に素鵞熊野神社と一体となったそうです
すてき
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