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大生神社ではいただけません
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大生神社のお参りの記録(4回目)
投稿日:2019年01月05日(土)
再び大生神社にお詣りしました。(鹿島~大生巡り⑤)
大生神社は、古代常陸国の開拓に活躍した物部氏系の多氏(おおし・おふし)との関係が深い神社と言われています。大生に伝わる話では、タケミカヅチ命は、初め奈良の春日の地に祀られたが、その後、藤原氏により東征の護りとして大生の地へ勧請し、さらにこれを鹿島の地に移し鹿島神宮とし、大生は祭神を同じくする別宮と称されるものとなった…とあります。鹿島から鹿に乗って春日に向かった“鹿島立ち"に真っ向から対立する話になっています。藤原氏の隆盛にに伴い、多氏から中臣氏への勢力の移行があったことが想像されます。
この近辺の神社の説話に触れるにつれ、多氏系の古い勢力によつて作られた話と、中臣氏系の勢力によつて消された話、作られた話があように感じられます。今回の巡行の話も消された話に分類されるような気がします。
この近辺の神社の説話に触れるにつれ、多氏系の古い勢力によつて作られた話と、中臣氏系の勢力によつて消された話、作られた話があように感じられます。今回の巡行の話も消された話に分類されるような気がします。
鹿島神社の一行は大生の一ノ鳥居から本殿に向けて進みます。ちょうどこの方向に見えたことでしょう。
朝日を浴びてちょっと見づらいですが、ご神木と物忌が宿泊する祭殿です。物忌は普段跡宮におられます。物忌みの地位は極めて高く鹿島神宮の男性が立ち入ることの出来ない御内陣で奉仕をすることができました。物忌が執り行う祭事のなかで鹿島の境内から外に出ることが大生神社以外にないことから鹿島神宮との強い関係を指摘されています。今回の巡行ルートは物忌が通って来た道なのかもしれません。だとすると鹿島神宮ではなく鹿島神社と表現することに大きな隔たりがある気がしてなりません。
すてき
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