たいさんじ
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大山寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月05日(月)
参拝:2021年5月吉日
大山寺(たいさんじ)は、茨城県東茨城郡城里町にある真言宗豊山派の寺院。山号は高根山。本尊は大日如来。
寺伝によると、創建は平安時代初期の810年、弘法大師によって開山され、婆王堂には大師御真筆と言われる乾闥婆王(けんだつばおう)尊像を祀る。この尊像は「夜泣き、引きつけ、かんの虫、おねしょ」に霊験あらたかと言われ、別名「虫切高根山」と言われている。
室町時代の1457年、僧・宥阿が住職の時、大山城主・大山因幡守義成の祈願所として再興。江戸期には徳川将軍家から朱印地を拝領。水戸徳川家からも帰依を受け、末寺二十余ヶ寺を有した。
当寺は、JR水郡線・常陸大宮駅の南西7kmの高台、那珂川西岸の河岸段丘上にある。クルマだと常磐道・水戸北ICから北北西に14km。広い境内には本堂、乾闥婆王尊堂のほか、大小堂宇や諸仏像などが綺麗な庭園の中に散在していて、由緒書き含めて見て廻るのが楽しくなる寺院。
今回は、関東八十八カ所霊場の一つとして参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には参拝者はいなかった。
寺伝によると、創建は平安時代初期の810年、弘法大師によって開山され、婆王堂には大師御真筆と言われる乾闥婆王(けんだつばおう)尊像を祀る。この尊像は「夜泣き、引きつけ、かんの虫、おねしょ」に霊験あらたかと言われ、別名「虫切高根山」と言われている。
室町時代の1457年、僧・宥阿が住職の時、大山城主・大山因幡守義成の祈願所として再興。江戸期には徳川将軍家から朱印地を拝領。水戸徳川家からも帰依を受け、末寺二十余ヶ寺を有した。
当寺は、JR水郡線・常陸大宮駅の南西7kmの高台、那珂川西岸の河岸段丘上にある。クルマだと常磐道・水戸北ICから北北西に14km。広い境内には本堂、乾闥婆王尊堂のほか、大小堂宇や諸仏像などが綺麗な庭園の中に散在していて、由緒書き含めて見て廻るのが楽しくなる寺院。
今回は、関東八十八カ所霊場の一つとして参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には参拝者はいなかった。
幹線道路(県道112号線)から見える、<寺号標>とカラフルな幟。
少し奥まったところにある、境内入口。地味な門だなと思っていたら、、、
その後ろに立派な<仁王門>。建立発願は戦前で、完成まで60年以上かかったんだとか。
左側の吽形仁王像、<密迹(みっしゃく)金剛>。
右側の阿形仁王像、<那羅延(ならえん)金剛>。
仁王門の右手に見える、袴腰の重厚な<鐘楼堂>。
鐘楼堂の手前に立つ<聖観世音菩薩像>。
仁王門をくぐると、もう一つの門<山門>がある。切妻造の四脚門で、蟇股、木鼻、海老虹梁に典型的な室町時代末期の建築様式が見られる。
参道左手にある<六地蔵>。
山門をくぐって右手にある<水屋>。
参道正面には、大きな<本堂>。
<本堂>全景。1990年建立。間口十間、奥行八間、向拝十坪、入母屋造、木造平屋建、銅板葺。
<本堂>正面。内陣に本尊・大日如来(金剛界)を安置。
本堂の左手に建つ、珍しい造形の<乾闥婆王尊堂>。建立は古いが不詳、1990年に大改修。木造平屋建、銅板葺。
堂内に安置される<乾闥婆王尊画>は弘法大師の御真筆といわれ、蟲封じ、子授け、安産、知恵授け、厄除などに御利益があるとのこと。
乾闥婆王尊堂の左手にある<福禄寿>。<佐竹七福神>の一つになっている。
福禄寿の左側に参道があり、その突き当りにある<弘法大師堂>。
弘法大師堂の右手にある<大畠祖先碑>。木札には<大畠飛騨守藤原四郎兵衛吉方公廟>とある。
境内にはたくさんの仏像が。こちらは<子安地蔵尊像>。
こちらは<子安・水子地蔵菩薩像>。
庭園の奥にある<忠霊塔>。
本堂の前、左手に立つ<弘法大師像>。
本堂の前、右手に立つ<ぼけ封じ観音菩薩像>。
本堂の右手、少し離れたところに建つ<寺務所・納経所>。御朱印はこちら。
すてき
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惣一郎1269投稿
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