さたけでら|真言宗豊山派|妙福山
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佐竹寺の御朱印・御朱印帳
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茨城県 常陸太田市 天神林町 に境内を構える、妙福山 佐竹寺、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2023.11に坂東三十三観音霊場 で初参拝後、佐竹七福神等にて何度か参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 妙福山、院号は 明音院、寺号は 佐竹寺、宗旨 宗派は 真言宗 豊山派、ご本尊は 十一面観世音菩薩、坂東三十三観音霊場 第二十二番札所十一面観世音菩薩 (北向き観音) 日本百観音 の一つ、水戸三十三観音霊場 第十一番札所、佐竹七福神霊場 二社 五寺から構成される、佐竹七福神 布袋尊、佐竹寺の創建は諸説あり大同2年(807)に徳一大師が開山したとも、寛和元年(985)に花山法王の発願により元蜜上人が聖徳太子が彫り込んだとされる十一面観音像を祀り開いたとも云われています(院号である「明音院」は徳一大師が名付けたと伝えられています)。
伝承によると花山法王が巡錫で当地に訪れると霊夢に多くの神の化身が立ち「この地は日本武尊が天神七代の御霊を勧請し国家安寧を祈願した霊地なので寺院を設けて祈ってほしい」との御告げあったと伝えられています。
保延6年(1140)、源昌義(源頼家の子源義光の孫、佐竹氏の祖とされる人物)は観賢上人に帰依し佐竹寺を代々の祈願所と定めると寺領300貫を寄進するなど庇護しました。又、昌義が佐竹寺の境内で二十尋に一節しかない奇竹を発見し、出世の前兆と感じ取り佐竹氏を名乗った事から佐竹氏発祥の地とされています。その後、一時衰退しましたが、文永6年(1269)に佐竹長義が堂宇を再建するなど再興しています。佐竹寺は当初、洞崎の峰観音山にありましたが天文12年(1543)兵火により焼失、天文15年(1546)に18代佐竹義昭が居城である太田城(茨城県常陸太田市中城町)の裏鬼門除けとして現在地に再建し、本堂は太田城の方角である北向き建てられた事から北向観音とも呼ばれました。佐竹氏は常陸の雄として勢力を強め北関東から南東北へ大きな影響力を持つようになり当寺も寺運が隆盛し六支院、三ヶ坊を抱える大寺院になったものの、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで佐竹氏は東西中立を保った為、慶長7年(1602)に久保田(秋田県秋田市・本城:久保田城)へ移封となり当寺は庇護者を失い一時衰退します。江戸時代に入ると佐竹寺は水戸藩(藩庁:水戸城)から庇護、寺領17石を安堵され延享年間(1744~1748年)に選定された領内(水戸藩)三十三観音霊場 第十一番札所と鎌倉時代に選定された坂東三十三観音霊場 第二十二番札所だったことなどから広く信仰を集め賑わったそうです。
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた 廃仏毀釈運動により佐竹寺は衰微し昭和初期までは無住時代が続きましたが昭和24年(1949)に再興しています
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