はなぞのじんじゃ
花園神社茨城県 磯原駅
祈祷/9:00〜16:30
花園神社参拝⛩️ 常陸国多賀郡神玉巡拝①
花園神社様も以前から上がりたかった神社⛩️
御岩神社様から1時間ほどで到着。
途中土砂崩れの箇所が4箇所ぐらいあり(補修中)落石や土砂が崩れてきたら逃げられないなぁと思いながら移動😅
携帯が圏外になってしまい、清流が流れ、石尊の滝なる滝があり、巨樹に囲まれ天狗がいそうな山奥の秘境といった雰囲気の場所にあり、神気に溢れ見どころの多い素晴らしい神社でした^_^
こちらに着いたら雨が降りはじめ、まあ浄化の雨かなと思いながら参拝させていただきました🙏
土日には観光バスも来るとか、山奥ですが参拝者の方は次々とこられてました(^^)
駐車場からの参道
美しい景色、紅葉の季節は混みそうですね。
石尊の滝
マイナスイオンがすごい👍
岩山の上から大量の水が湧き出てるのが不思議でした。
杉の巨樹が沢山
こぶ杉
不思議です❗️初めて見ました。
狛犬さん
苔に覆われてます^_^
素晴らしい✨
楼門
清浄な領域の境となる結界の役割を果たす門 山王大権現の額が掲げられている
木造銅板葺二階建権現造 現存の楼門は寛政4年(1792年)建替
楼門天井画
拝殿
屋根の正面・東面・西面を神猿が護る
立派な彫刻🐉
厳島神社
神池の中の社殿に市杵島姫神・田心媛神・湍津姫神三柱を祀る
この地に女神が現れ神池を造り建立されたとの言い伝えあり
狛犬さん
本殿
御祭神三柱を祀る社殿
三猿の彫刻があり正面は神猿が護る
木造銅板葺権現造 現存の本殿は天保3年(1832年)建替
三猿の彫刻
見ざる🙈言わざる🙊聞かざる🙉
立派な彫刻
木製の狛犬さん
神猿(まさる)
神様のお使い(神使(しんし))
神猿は魔除け・勝運・神猿が「神縁」を運んできてくれると崇められる。境内に14体の神猿が祀られている
本殿裏にも社がありました∑(゚Д゚)
上の方に祠と神猿
東照宮
御神木(三本杉)
周囲8m・樹高50m・樹齢推定800年
地上より10mより3本の幹に分かれ御祭神三柱を現すと伝えられ古代より御神木として崇められる
石鳥居も苔むしててすごい古そうで、神域という感じのオーラがでている感じがしました。
奥の宮への登拝ルート
片道70分
不在の為書置きとあったのですが、運良く宮司様が帰って来られ、書いていただきました🙏
御朱印や神玉について丁寧に説明してくださいました🙏
常陸国多賀郡神玉巡拝
ユッキーさんの投稿で見ていたので、ゲットしました♪
限定の黒檀のは無かったです。
2月節分(立春の前日) 節分祭・追儺弓神事
5月4日 潮水神事(潮水汲み) 宵祭
5月5日 例大祭
6月1日~30日 茅の輪くぐり
6月30日 15:00 夏越大祓式
創始は桓武天皇の御代、延暦14乙亥年(795)4月18日征夷大将軍坂上田村麻呂が勅定により奥州下向の折に霊夢によって創建したと伝えられている。807年4月花園山と号づけ、平城天皇より勅額が掲げられ満願寺を開闢す。天長年中(824~834)釈円仁(慈覚大師)が東国に頭陀の折、当山に修行し、貞観2年(860)に満願寺を再興した。以来天台宗満願寺社僧により奉仕され武州東叡山の末寺であった。前九年の役(1051)源頼義・義家(八幡太郎)が宣旨を受けて安部貞任・宗任を追討のため奥州に下向の際、参拝し誓願書を納めた。後三年の役(1083)清原武衡・家衡を討伐に赴く折、お使い神の猿が憧幡一旒を義家に授け、これを山王幡と名付け勝利を得て上洛の時にこの山王幡と源氏の白旗と二旒を神社に納め山中の社殿を始め末社に至るまでを建立せられた。天暦3年(949)社頭炎上、同7年復興その時の額は村上天皇の勅筆と伝わる。明治9年に神庫が焼失し一切の史籍を失ったことは誠に残念である。承応2年(1653)奥州棚倉城主内藤摂津守が当社の御分霊を城外に祀り花園大権現を建立信仰した。また領主車兵部大輔義方により文禄2年(1593)に愛染堂を寄進した。また徳川幕府も深く信仰され慶長7年(1602)家康の社頭領五十石の御朱印を寄進されたのを始めとし代々将軍が代わる毎に同朱印章書が寄せられた。神仏混淆時代には境内に本地堂・釈迦堂・護摩堂・愛染堂・大黒堂・鐘堂・庫裡など相当数の建物があったが明治初年神仏分離により満願寺の廃止と共に諸堂は除却された。古くは花園山大権現・日吉大権現などと称えられ明治初期頃より花園神社と称され大北川・花園川沿流十ヶ村の総社と称され信仰を集めた。
名称 | 花園神社 |
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読み方 | はなぞのじんじゃ |
通称 | 山王大権現 |
参拝時間 | 祈祷/9:00〜16:30 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0293-43-9212 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | hanazonoshrine-kaminaga@yahoo.co.jp |
ホームページ | https://www.hanazonoshrine.net/ |
SNS |
全国東照宮連合会 第7番 | |
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神玉巡拝 常陸國多賀郡神玉巡拝 |
ご祭神 | 《主》大物主命,大山咋命,大山祇命 |
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本殿 | 木造銅板葺権現造 |
ご由緒 | 創始は桓武天皇の御代、延暦14乙亥年(795)4月18日征夷大将軍坂上田村麻呂が勅定により奥州下向の折に霊夢によって創建したと伝えられている。807年4月花園山と号づけ、平城天皇より勅額が掲げられ満願寺を開闢す。天長年中(824~834)釈円仁(慈覚大師)が東国に頭陀の折、当山に修行し、貞観2年(860)に満願寺を再興した。以来天台宗満願寺社僧により奉仕され武州東叡山の末寺であった。前九年の役(1051)源頼義・義家(八幡太郎)が宣旨を受けて安部貞任・宗任を追討のため奥州に下向の際、参拝し誓願書を納めた。後三年の役(1083)清原武衡・家衡を討伐に赴く折、お使い神の猿が憧幡一旒を義家に授け、これを山王幡と名付け勝利を得て上洛の時にこの山王幡と源氏の白旗と二旒を神社に納め山中の社殿を始め末社に至るまでを建立せられた。天暦3年(949)社頭炎上、同7年復興その時の額は村上天皇の勅筆と伝わる。明治9年に神庫が焼失し一切の史籍を失ったことは誠に残念である。承応2年(1653)奥州棚倉城主内藤摂津守が当社の御分霊を城外に祀り花園大権現を建立信仰した。また領主車兵部大輔義方により文禄2年(1593)に愛染堂を寄進した。また徳川幕府も深く信仰され慶長7年(1602)家康の社頭領五十石の御朱印を寄進されたのを始めとし代々将軍が代わる毎に同朱印章書が寄せられた。神仏混淆時代には境内に本地堂・釈迦堂・護摩堂・愛染堂・大黒堂・鐘堂・庫裡など相当数の建物があったが明治初年神仏分離により満願寺の廃止と共に諸堂は除却された。古くは花園山大権現・日吉大権現などと称えられ明治初期頃より花園神社と称され大北川・花園川沿流十ヶ村の総社と称され信仰を集めた。 |
体験 | 祈祷お祓い絵馬お守り祭り札所・七福神巡り |
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