こうもうじんじゃおくのみや
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蛟蝄神社奥の宮ではいただけません
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蛟蝄神社奥の宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年10月07日(木)
参拝:2020年10月吉日
蛟蝄神社(こうもう~)(奥の宮)は、茨城県北相馬郡利根町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。主祭神は罔象女大神(みつはのめ:水波能女命)、相殿神は埴山姫大神(はにやまひめ)など8柱。
社伝によると、創建は288年、現在の門の宮(かどのみや)の場所に、水の神である罔象女大神を祀ったのが始まり。飛鳥時代の698年に土の神である埴山姫大神を合祀し、水害などの理由から高台の現在地に遷座(現在の奥の宮)。遷座後取り壊すはずであった門の宮は、氏子崇敬者の強い要望で残り、祭神の御霊を分祀したとのこと。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「下総国 相馬郡 蛟蝄(みつち)神社 小」に比定されている(「みつち」は伝説上の龍)。江戸時代には、徳川家康から朱印地50石を下賜された。明治時代に入り、近代社格制度の下、郷社に列した。
当社は、関東鉄道竜ケ崎線・竜ケ崎駅の南方5km、利根川の北岸で、新利根川近くの平地に浮かぶ小山の上にある。社殿の真南から階段で上がることもできるが、クルマだと西側からの道路で境内まで登ることができる。小山全体が境内のようで、森の中に神社がポツンと存在する感じの神聖な環境。しかも境内はきれいに掃き清められているし、社殿はピカピカに新しいしで、何とも不思議な他にはない雰囲気。しかも、宮司さんが常駐していて、平地の住宅街にある当社の<門の宮>の方が無人。いろいろと印象に残る良い神社。
今回は、(茨城県にあるが)下総国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の夕方、参拝者は自分以外にはいなかった。
社伝によると、創建は288年、現在の門の宮(かどのみや)の場所に、水の神である罔象女大神を祀ったのが始まり。飛鳥時代の698年に土の神である埴山姫大神を合祀し、水害などの理由から高台の現在地に遷座(現在の奥の宮)。遷座後取り壊すはずであった門の宮は、氏子崇敬者の強い要望で残り、祭神の御霊を分祀したとのこと。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「下総国 相馬郡 蛟蝄(みつち)神社 小」に比定されている(「みつち」は伝説上の龍)。江戸時代には、徳川家康から朱印地50石を下賜された。明治時代に入り、近代社格制度の下、郷社に列した。
当社は、関東鉄道竜ケ崎線・竜ケ崎駅の南方5km、利根川の北岸で、新利根川近くの平地に浮かぶ小山の上にある。社殿の真南から階段で上がることもできるが、クルマだと西側からの道路で境内まで登ることができる。小山全体が境内のようで、森の中に神社がポツンと存在する感じの神聖な環境。しかも境内はきれいに掃き清められているし、社殿はピカピカに新しいしで、何とも不思議な他にはない雰囲気。しかも、宮司さんが常駐していて、平地の住宅街にある当社の<門の宮>の方が無人。いろいろと印象に残る良い神社。
今回は、(茨城県にあるが)下総国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の夕方、参拝者は自分以外にはいなかった。
境内のある小丘の南側にある入口。鳥居や社号標はなく、写真右側の細い白色の標識だけが識別ポイント。
階段を上がると<鳥居>がある。境内は想像したよりも草木が少なく、広々としていて、綺麗に掃き清められている。
参道右側にある、小さな<手水舎>。
<拝殿>遠景。手前の<狛犬>は、大きく太っている珍しい形。けっこう古そう。
<拝殿>全景。社殿はずいぶんと新しい感じ。
<拝殿>正面。紙垂が付いた藁の暖簾が特徴的。
<社殿>全景。森の中にあって、凛として美しい佇まい。
拝殿後ろの<本殿>。こちらも拝殿と同じく、新しそう。
参道の右手にある<授与所>。御朱印はこちら(宮司さん常駐)。
<社務所>近くから、境内全景。草木はきれいに整えられているので、広々とすっきりして見える。(手入れが大変そう。頭が下がる...)
山の上の駐車場から、社殿周りを望む。
拝殿前の燈籠の刻印が気になったので、なんとなく撮影。奉納者名が「松川屋勘右衛門」ということは、江戸時代の人かな?
すてき
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惣一郎1269投稿
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