くもいのみやくにのみやつこじんじゃ
雲井宮郷造神社のお参りの記録一覧
通りがかりにお参りしました。御祭神は毗那良珠命、武甕槌命、大国主命、事代主命、建御名方命ということです。前日に嵐があったせいか、参道に木の枝が沢山落ちてて、地元の方々がお掃除してました。お参りはどーぞどーぞとみなさん温かくお声がけしてくれ、挨拶しながらお参り。蛙!や蜥蜴、蝶々など沢山の生き物がうごめく境内で、踏みそうなのでお参りして失礼しました。拝殿前では茅の輪くぐりの準備もされていました。でも宮司さんは不在だよーとのことでした。
人が沢山いたので、拝殿の全体写真は遠慮してしまいました…
鳥居
参道
随神門
本殿
天神社
道祖神
なんと律令国として常陸国が成立する以前、もっと細かく国が分かれてた時代の新治国の一之宮とのこと!
まぁ当時はまだそういう社格制度自体がなかったようなので、一之宮というのはあくまで後世の仮託というか自称のようですがw
社伝では景行天皇41年(111年)創建。
実際に記紀神話の通りに、弥生時代頃から全国に影響を及ぼせるような天皇・大王なんて存在がいたのか( -_・)?というのはひとまず置いとくとして、
神社の境内は宮前遺跡という弥生時代,古墳時代,奈良・平安時代の遺跡包蔵地になっているそうで、古代から何らかの聖地とされていたのは間違いないようです。
平安時代の大同年間、伊予親王の変で常陸国に配流された藤原宗成が罪の赦しを願い毎日この神社に参拝したところ、恩赦が出て都に帰ることができ、そのお礼に社殿を造営したとのこと。
Wikipediaによると、この藤原宗成という人物、都に復帰後も昇進を重ね従五位上まで上り詰めますが、一方で「家は貧しく困窮し、衣食にも事欠く中で没した」というちょっとよくわからない人( ゚д゚)ポカーン
まぁ人物評を見ると「才学がなく、不正な意図を持って媚びへつらうようなところがあった」と、ネットで大人気の一条三位のような典型的な麻呂だったようで、復帰後に昇進できたのも幼なじみのコネらしい(^^;
ここも一応、小田氏関連の神社で、氏治公の祖父に当たる小田成治公が永生年間に社殿を再建。
宮司も小田氏出身で、氏治公の息子の守治公が、小田氏の通字「治」を宮司に賜ったりしてるようです。
御朱印はあるらしいんですが宮司不在で受印できず。
確実なのは正月や祭礼日でそれ以外は不在が多いらしい。
やはり今回は小田氏関連の寺社は奮わないようで、雨引千勝神社のように偶然宮司さんが来ていたなんて奇跡も起こりませんでしたw
一の鳥居はかなり先
今回は戻らず
古く由緒ある神社なので随神門あり
右手の社務所近くに摂社
随神門
境内
絵馬堂
「雲」という字が型抜きになった絵馬です
社殿はガラス張り
中の灯籠なんですが、他の写真でも点いてたのでどうも常時点灯されてるらしい
もしかしたら朝夕に宮司さんが点けに来てる可能性もあるので、受印は早朝とかが狙い目か?
「雲井宮郷造神社」の上に「鹿島」「蝦夷」とあり
本殿
右奥に大きめの境内社
天神社でした
天神社内部
御神体は神鏡
天神社前に道祖神社
あらヤダ( *゚A゚)
道祖神の石碑の前にはかなり元気な金精様(^^;
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