きよたきじ|真言宗豊山派|南明山
清滝寺のお参りの記録一覧
2024.12.31①
参拝の効果は年を跨いで参拝後1年間のはず、と信じて。明日からは混み合うので駆け込みで。地元のお寺。年季が入って趣がというよりも、静か過ぎて怖い。御朱印はありそうだが御守りは売ってる気配がない。
清瀧寺 坂東三十三観音26番
清瀧寺 坂東三十三観音26番
清瀧寺 坂東三十三観音26番
清瀧寺 坂東三十三観音26番
清瀧寺 坂東三十三観音26番
もう少し筑波山東側の八郷盆地を探索してみたかったのですが・・・
調べてみたところこの盆地、お寺はそこそこあったものの、神社は無人社ばかりで受印できるところがほぼ皆無という凄まじい不毛地帯だったので、筑波山南西側に戻ることにしました(^^;
(神社で受印可なのは足尾神社の里宮くらい)
石岡市(盆地側)と土浦市(外側)を繋ぐ朝日トンネルを出てすぐのところに、今度はなんと小野小町に纏わるお寺が見つかり今度はこちらに寄ってみることに。
こちらにも安倍晴明に纏わる伝承が何かあるのでは!?(゚∀゚)と期待したのですが、同じ平安時代でも小町と晴明って活躍年代が100年くらいズレてるのね(^^;
まぁ有名人なのでドラマとか漫画では、小町の怨霊と晴明がよく対決したりしてますがw
ここは小野小町終焉の地らしく、近くには小町の墓所もあるという・・・って、ちょっと待て! ウチの地元にもあるぞ小野小町の墓(^^;
ウチの地元の伝承では、小町は小野寺の大慈寺の裏の崖から身を投げて死んだってことになってるんだが・・・そもそも小野寺って地名自体が小野小町に由来すんだぞ! 捏造すんな茨城!(#゚Д゚)ゴルァ!!
・・・まぁ小野小町やら静御前やら巴御前やら美人の墓は日本中にありますからねw 日本人は昔から「○○は俺の嫁」みたいな発想がお好きだったようでwww
ちなみにこちらに伝わる小町ちゃんは、ここより少し先にある北向観音に参拝した後に当地で病に倒れ亡くなったということになってるようです。
住職不在のお寺のようですが、地域の方が交代で授与所に詰めているようです。
授与時間は夏期8~17時、冬季9~16時、12~13時は昼休憩とのこと。
ご覧のように御朱印や授与品もいろいろと種類がありました☆
せっかくなので小野小町の見開きの書き置きをいただきました☆
板東八十八番の二十六番
こちらは直書き
間に北斗寺入れちゃったので、残念ながら今回は二十五番の筑波山大御堂とは続きにならず(ノ∀`)
お姿札もいただきました 100円
可愛らしい和服のしおりが付いてきます♪
入り口
駐車場は少し先にあって車でももう少し上まで行けます
浄水
右側にあった貯水池
浄水の水はここではなく、山から引かれてる清浄な湧水
浄水の向かい側に古い石仏や五輪塔
安産不動尊
六所皇大神宮近くにもあったけど、筑波周辺では安産祈願は不動明王が多い様子
横に石仏の不動明王もあり
聖観世音菩薩と書かれた石
子安石でしょうか?(・・ )
後ろには庚申塔や半分埋もれた地蔵
安産不動尊は厨子が閉じられてて見れず
階段を上がると朱塗りの大きな仁王門
山号は南明山
仁王様は結構迫力があります
怖ぇ!((( ;゚Д゚)))
この左の方に参拝者用の駐車場あり
ご覧のようにさらに車道が続いてて一応境内と同じ高さまで車で行けるようですが、参拝者も乗り入れていいのかは不明
周辺の寺社
調べたところ東城寺は受印可
日枝神社は要事前連絡で受印可
向上庵と千福寺は未確認、香取神社は明らかに無人社だったw
もう少しで境内っぽい
左に宝塔と古い手水
境内
本堂
左から
本堂も結構大きいです
お焼香します
お箸付きのおみくじ
これを見て堂内に上がれるかと思ったんですが、横に回ったら鍵が閉まってた(^^;
まだ朝9時頃で授与所に地元の方(おじいさん)が来たばかりだったので、もう少し遅い時間なら開いてるのかもしれない
横に堂宇が一つ
大師堂でした
真言宗なので弘法大師
横に3体の獅子像
火災にあい炭化したため恐竜風になってるw
御朱印いろいろ
一律500円ですが、右に写ってるご当地七福神巡りのものだけ300円だった
清瀧寺(きよたきじ)は、茨城県土浦市にある真言宗豊山派の寺院。山号は南明山、院号は慈眼院。本尊は聖観世音菩薩。別名は「清瀧観音」。坂東三十三箇所観音霊場26番。
寺伝によると、創建は推古天皇15年(607年)、聖徳太子作の聖観音を竜ヶ峰に安置したのが始まり。一方、『坂東霊場記』では、奈良時代の728年に行基が滝の中に観音の姿を感得し、観音像を彫って山頂の滝口に安置したのが始まりとしている。以後、滝の水は大悲水と呼ばれ、病を治癒する霊力があるとされた。平安時代の大同年間(806年~810年)には、徳一上人により山の中腹に遷され、現在地に観音堂が建てられた。鎌倉時代には幕府御家人・八田知家の庇護で栄えたが、室町時代に戦乱で焼失。江戸時代の元禄年間(1688年~1704年)に再建され、幕府から朱印地を下賜されたが、明治時代以降に衰微した。昭和戦後の1969年に火災で廃寺同然となったが、1977年に信徒の尽力で本堂を再建した。
当寺は、JR常磐線・土浦駅の北北西10km、県道199号線を北上し、山を貫く朝日トンネルの手前の山の中腹にある。田畑や果樹園が広がるエリアの小山の斜面にある。境内入口から徐々に段差をもって登って行く造りで、江戸時代建立の仁王門、昭和の火災後に建立した本堂がメイン。全体的にはこぢんまりしているが、周辺が散策コースになっていることもあるのか、訪れる人は多い印象。
今回は、坂東三十三箇所観音霊場の1つとして参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外にも、バイクのライダーや家族連れ、夫婦連れなどが参拝に来ていた。
境内南端にある入口。特に寺号標や看板は立っていない。
階段を数段上がって右側にある<水盤>。
水盤の上方にある<安産不動尊>。
階段を登り切ると、左側に控え目な低い<寺号標>がある。達筆過ぎてほぼ読めないが、<南明山慈眼院清瀧寺>とある。
まず最初に現れる建物は、<山門(仁王門)>。当寺は1969年に火災に遭っているが、唯一焼けずに済んだ建物。江戸時代後期の天保年間(1830年~1844年)の建立。
基本の朱色は普通だが、刺し色で塗られた水色が何とも言えない味がある。非常に印象に残る山門。
山門をくぐって前方を望む。
階段を登ると、徐々に<本堂>が見えてくる。
端正なルックスの<本堂>。階段や本堂の周りには、真っ赤な奉納旗がはためいていて、華やかな雰囲気を醸し出している。
参道左側の<水屋>。
参道左手の<納経所>。御朱印はこちら。当寺は無住のため、地元有志が運営しているとのこと。
本堂手前は<常香炉>。
境内右手にある<大師堂>。
<本殿>全景。現在の本堂は、1969年の火災で焼失後、1977年に坂東23番・佐白山正福寺の住職が寄進したもの。
<本堂>正面。きれいに保たれている本堂。刺し色の朱色が効いている。
境内右手にある<鐘楼の梵鐘>。
最後にもう一度、<本堂>全景。
当寺の駐車場でバイクを1台で停めていたところ、ツーリングライダーが自分の両側に停めたみたい。そんなに有名なお寺ではないが、ツーリングの目的地にもなるのかな? (^▽^)/
仁王門は歴史を感じます。
寺伝によれば、607年に聖徳太子作の聖観音を近くに安置したのがはじまりと言われています。
昭和44年、火災にあいましたが、天保年間に建てられた仁王門は無事だったそうです。
仁王門
100段の階段!大したことないよ。
あと、35段!まだ大丈夫。
登り切って、お疲れ様!
火災で焼けた木造の獅子
安産不動尊
社務所200年前の御朱印が飾られていました。
無口でしたが、笑顔の素敵な方に書いていただきました。
茨城県のおすすめ🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
6
0