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えんじゅいんやくしどう|真言宗豊山派富岡山

延寿院薬師堂のお参りの記録一覧
茨城県 つくば駅

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くし
くし
2022年11月16日(水)1703投稿

小田城下の寺社 3ヶ所目、無住のお寺というか薬師堂です。
元々は同じ小田城下にある長久寺の末寺で、火災で伽藍が焼け薬師堂のみが残ったとのこと。(長久寺については次回以降に投稿)
元は富岡という別の所に小田氏が寄進して建てられた寺で、その後現在の場所に移転。
八坂神社の創建(1651年)、薬師堂の移転(1625年) どちらも佐竹の秋田転封による小田城廃城(1602年)の少し後なので、何か連動した動きがあったのかもしれません。

さて前回の続きで小田家の不死鳥伝説。 今回は友治公の息子 義治公のお話。
祖父、父、叔父が結城秀康に仕えスッカリ徳川家に取り込まれた小田家ですが、なんとこの義治公、大阪の陣では小田旧領の回復を条件に豊臣秀頼に付きました!Σ(; ゚Д゚)
というのも祖父の氏治公が、嫡子の守治が生まれるまでの8年間、庶子の友治に「お前が次の小田家当主だ!」と言い続けており、その後も後継問題について長く放置していたため、友治公も義治公も「我らこそが小田家正統!」という意識が相当強かったらしい(^^;

しかし史実の通り大阪城は落城し豊臣家はあえなく滅亡・・・ところが!
そう、義治公も小田家の驚異の生命力と悪運の持ち主、死なないんだなこれが(^^;
重傷を負いながらも大阪の役を生き残り、最後はなぜか福島正則の客分となってシッカリ天寿を全うしたそうですw ww

戦国最弱と言われる小田家ですが、生き延びる(自分だけ)という点に関しては戦国最強だと思いますw

延寿院薬師堂(茨城県)

駐車場が中にあったため入ってしまいましたが、参道入口にもお地蔵さんあり

延寿院薬師堂のその他建物

もと大伽藍だったためか石碑や石仏多し

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