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わこういん たじまのちふどうそん

和光院(田島の血不動尊)のお参りの記録(1回目)
茨城県内原駅

投稿日:2026年04月16日(木) 06時59分51秒
参拝:2024年1月吉日
茨城県 水戸市 田島町 に境内を構える、傳燈山 和光院 明楽寺、2024.に北関東不動尊霊場にて参拝致しました、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、寺院対応は 快く対応して下さり、また訪れたいと思える寺院様でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 傳燈山、院号は 和光院、寺号は 明楽寺、宗旨 宗派は 真言宗 智山派、ご本尊は 延命地蔵菩薩、北関東三十六不動尊霊場 第二十六番札所 紙本着色不動明王像、田島の身代わり血不動尊、暦九年(1759)建立の和光院・不動堂、傅燈山 和光院 明楽寺の創建は、南北朝時代中期の康安元年(1361)鹿島郡神生村にて開基された。本尊は弘法大師の作と伝えられる延命地蔵菩薩。
開基後、約140年経た宥怡上人の代、水戸城主、江戸但馬守通雅が枝川の地に七十五貫文の地を寄進し援助した。(1498) この宥怡上人が和光院中興開山の祖である。 大永二年(1522)中興二世宥胤のとき、堂塔を鹿島神生より水戸城郭内海老窪の辺へ移建し(船戸山ともいう)和光院は、江戸氏の菩提寺として大いに栄えた。
天正十八年十二月、中興六世宥勝のとき、江戸重通(十代)は太田の佐竹義宣と不仲となり交戦、 戦い利あらずして敗れ滅亡し、和光院も佐竹のために水戸を追われた。
当初、茨城町石崎に移り、更に現在地の田島に退去したが、時の住僧宥勝上人はその後五年を費し、文禄四年(1595)和光院を再建した。 境内に屹立する直径八尺に及ぼうかという椎の巨木は、これ以前に植えられたと推定される。延宝三年(1675)和光院門末帳によると、末寺四カ寺・門徒十四カ寺・末寺の門徒六カ寺で、都合二十四カ寺とあり、その規模は大きかった。 又、徳川時代の御朱印目録によれば、代々将軍家より高十五石を寺領として許されているとある。
和光院本堂 に安置される 不動明王画幅は、通称「血不動尊」と呼ばれる、
これは 和歌山県の 根来山 大伝法院に安置される 錐鑚不動の鮮血にて、興教大師が描いた(御真筆)赤いお不動様であることから名づけられたもの。 節分会等、大護摩修行の際は不動堂に移されている。
その不動堂には、別に木彫座像の不動明王も安置されているが、これも江戸氏の守本尊として 1590年まで水戸城内にあったもので、どちらも霊験はあらたかといえる
和光院(田島の血不動尊)の御朱印
北関東三十六不動尊霊場 第二十六番札所 紙本着色不動明王像、田島の身代わり血不動尊、御朱印
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)
和光院(田島の血不動尊)(茨城県)

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