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和光院(田島の血不動尊)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月03日(土)
参拝:2021年5月吉日
和光院は、茨城県水戸市にある真言宗智山派の寺院。山号は傳燈山、寺号は明楽寺。本尊は延命地蔵菩薩。通称は「田島の身代り血不動尊」。北関東三十六不動尊霊場26番。
創建は南北朝時代中期の1361年に、鹿島郡神生村にて開基。1498年に宥怡上人が中興開山、水戸城主・江戸但馬守通雅から寺領の寄進を受け、のちに堂塔を水戸城郭内に移転、江戸氏の菩提寺として栄えた。戦国時代になり1590年に江戸氏は滅亡し、当寺も現在地に移転、1595年に宥勝上人により再建された。江戸時代の1675年には24カ寺を有する規模にまで発展し、江戸幕府から15石の朱印地を与えられた。
当寺は、JR常磐線・内原駅の北東4km弱のなだらかな丘陵地にある。クルマだと常磐道・水戸ICから北西に2kmちょっと。境内は広く、伽藍のある参拝エリアと墓地が完全に分かれている。樹齢数百年の椎の巨木はあるが、樹木は少なく、見通しが良い造り。境内伽藍は本堂と不動堂だが、見どころはユニークな形をした1595年建立の不動堂。一目見ると忘れないインパクトがある。
今回は、北関東三十三不動尊霊場として参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外にも参拝者や墓参者がちらほらいた。
創建は南北朝時代中期の1361年に、鹿島郡神生村にて開基。1498年に宥怡上人が中興開山、水戸城主・江戸但馬守通雅から寺領の寄進を受け、のちに堂塔を水戸城郭内に移転、江戸氏の菩提寺として栄えた。戦国時代になり1590年に江戸氏は滅亡し、当寺も現在地に移転、1595年に宥勝上人により再建された。江戸時代の1675年には24カ寺を有する規模にまで発展し、江戸幕府から15石の朱印地を与えられた。
当寺は、JR常磐線・内原駅の北東4km弱のなだらかな丘陵地にある。クルマだと常磐道・水戸ICから北西に2kmちょっと。境内は広く、伽藍のある参拝エリアと墓地が完全に分かれている。樹齢数百年の椎の巨木はあるが、樹木は少なく、見通しが良い造り。境内伽藍は本堂と不動堂だが、見どころはユニークな形をした1595年建立の不動堂。一目見ると忘れないインパクトがある。
今回は、北関東三十三不動尊霊場として参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外にも参拝者や墓参者がちらほらいた。
敷地南端の境内入口。山門や塀・壁がなく、開放的でワイルドな造り。
参道左手の<六地蔵>。
本堂手前、参道左手に現れる<椎の古木>。安土桃山時代の1595年に移転して来た時に、この木はすでにあったとのこと。
参道左手の離れた場所にある<鐘楼>。割と新しそう。
参道右手の<水屋>。
<本堂>全景。内部には本尊の<延命地蔵菩薩>の像と、謂れのある<血不動明王>の画幅を安置。
<本堂>正面。大幅の<血不動明王>は、和歌山県の根来山大伝法院に安置される錐鑚不動の鮮血にて興教大師が描いた、赤いお不動さまとのこと。
本堂前に立つ<弘法大師像>。
本堂の右奥の少し離れたところに建つ<不動堂>。
屋根の形が非常にユニークで、お堂との距離が変わると、見える形が大きく変わる。
不動像に礼拝後、堂宇の周りをぐるぐる廻ってみた。
本堂左手の<納経所>から見た<本堂>。納経所周りの庭は造り込まれていてきれい。
すてき
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惣一郎1269投稿
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