かみさきじ かいうんみとふどうそん
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楽しみ方神崎寺(開運水戸不動尊)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月16日(木) 07時03分28秒
参拝:2024年3月吉日
茨城県 水戸市 に境内を構える、笠原山 東光院 神崎寺(かみさきじ)偕楽園、神社等の近くで見所が多い寺院、2024.に 北関東不動尊霊場にて参拝致しました、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、寺院対応は 慣れていて 快く対応して下さり また訪れたいと思える寺院様でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 笠原山、院号は 東光院、寺号は 神崎寺、宗旨 宗派は 真言宗 豊山派、ご本尊は 大日如来、北関東三十六不動尊霊場 第二十七番札所 開運水戸不動尊、神崎寺のお不動様は鎌倉時代作と伝えられ、現在は不動堂(奥之院)に安置されている。一般に開運水戸不動と呼ばれ、信仰を集めている。常陸三十三観音霊場 第一番札所、札所ご本尊は 十一面観世音菩薩、那珂川流域の低地と周辺の台地から成り、中世以来江戸氏、佐竹氏の城下町だった。慶長十四年(1609)徳川頼房公が封ぜられて御三家のひとつ、水戸藩三十五万石の大城下町となり、今日の礎を築く。水戸市偕楽園近くの天王町に伽藍を構える巨刹である。境内は重厚堅牢な大本堂を中心に観音堂、不動堂、太子堂、鐘楼と堂宇が建ち並び、壮重ながらも清々しい美しさが感じられる。神崎寺の寺歴が明らかになるのは元亀三年(1572)の頃からで、宥怒和尚が中興した事が伝えられているが、それ以前の仏縁を示すものも残っている。
貞享四年(1687)に寺の境内から発見された、銅鋳製円筒形の妙法経筒がそれで、損傷著しくも「長承二年二月」の銘が読み取れる。 長承二年とは西暦1133年にあたり、神崎寺の住昔が偲ばれる。発見された妙法経筒は、水戸光圀公に献上されたが、光圀は時の神崎寺住職・宥賀僧正に命じて妙法を書写させ、一緒に保管されたという。 この経筒は、現在も神崎寺に所蔵される県指定文化財である。この他にも徳川家・水戸藩との縁を語るものとして、いくつかの墓所があげられる。
水戸光圀が大日本史編纂のために設けた彰考館の史臣・森巌塾と石井三朶花。総裁を務めた神代鶴洞と徳田錦江。 桜田烈士の稲田重蔵、弘道館教授の飛田逸民などがそれにあたる。これら、郷土史を彩る人々の墓にお参りし、偉業をしのぶのもよいだろう。寺院は安産祈願のために参詣する人々が多く、特に戌(いぬ)の日には、近在・遠来を問わず、女性の姿でにぎわうという。境内で弘法大師・四国霊場巡りができたりと、祈願の対象は多い
貞享四年(1687)に寺の境内から発見された、銅鋳製円筒形の妙法経筒がそれで、損傷著しくも「長承二年二月」の銘が読み取れる。 長承二年とは西暦1133年にあたり、神崎寺の住昔が偲ばれる。発見された妙法経筒は、水戸光圀公に献上されたが、光圀は時の神崎寺住職・宥賀僧正に命じて妙法を書写させ、一緒に保管されたという。 この経筒は、現在も神崎寺に所蔵される県指定文化財である。この他にも徳川家・水戸藩との縁を語るものとして、いくつかの墓所があげられる。
水戸光圀が大日本史編纂のために設けた彰考館の史臣・森巌塾と石井三朶花。総裁を務めた神代鶴洞と徳田錦江。 桜田烈士の稲田重蔵、弘道館教授の飛田逸民などがそれにあたる。これら、郷土史を彩る人々の墓にお参りし、偉業をしのぶのもよいだろう。寺院は安産祈願のために参詣する人々が多く、特に戌(いぬ)の日には、近在・遠来を問わず、女性の姿でにぎわうという。境内で弘法大師・四国霊場巡りができたりと、祈願の対象は多い
すてき
投稿者のプロフィール

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宮城県 石巻市に在住、元々出張で日本各地を訪れる機会が在り思い出作りに道の駅スタンプラリーにも参加、気がつけば全国制覇者2022年第184号、今は休日 旅行で全国各地の食べ物、景色、温泉を探索、...もっと読む
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