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感応殿のお参りの記録一覧
兵庫県 国府駅

四季
四季
2021年11月09日(火)
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感応殿 
    『センゴク』と 出石皿そば

この社殿は、感応殿といい、出石藩主仙石氏の祖権兵衛秀久公を祀っています。公は美濃(岐阜県)の人で、豊臣秀吉に仕えて功があり洲本、高松の城主となり一時勘気を受けて浪人しましたが、小田原攻めで奮戦し小諸城主に返り咲きました。その豪勇のほどは大盗賊石川五右衛門を捕らえた豪傑として伝説化されています。仙石氏は、公のあと子の忠政が信州上田に移り玄孫政明が宝永三年(一七〇六)に出石に移封されて五万八千石を領し以来廃藩まで七代百六十三年間続きました。明治に入って旧家臣らによって本丸跡に公を祀る感応殿が建立され今日に至っています。以後町の人々は本丸を権兵衛さんと愛称をもって呼び、例祭は五月の祥月命日に行われています。

    ~御由緒書より~

この感応殿にはマンガ『センゴク』の主人公でもある仙石秀久公が祀られています。

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出石そば発祥の由来 (いずしそば)

ここは旧出石城本丸跡で祠は感応殿といい城主仙石氏の藩祖権兵衛秀久公(信州小諸城主)を祀り、その為権兵衛さんと市民から親しまれている場所です。四代政明公上田城主の時、尊祟されていた古社・科野(信濃)大宮社御神木の大欅枯死したのを大層憂い、切株に覆い屋を施し大切に保存され現在も、在りし日の面影を偲ばせて遺されています。 政明公は大変そば好きで宝永三年(1706)出石の松平忠徳公(のち忠周=老中)とお国替えで出石に入部の際、信州一の蕎麦打ち名人を伴われ入国しそばを当地に広められました。後永年に亘り改良と技術研鑽を重ね、出石焼の小皿に盛り付ける独特の「出石皿そば」を創出し今日に受け継いできました。 本年そばは伝来三百年を迎え、科野大宮社三柱の御祭神の依代として、大欅の一部を譲り請け「出石皿そば」の守護神とし、政明公への報恩の念を込め、当祠に奉齋しました。 ここに関係者一同末代迄のお祀りを誓い合い、「出石皿そば」の品質向上と発展を期し、碑文を刻み由来を記しました。
           平成十八年十一月三日
        仙石科野大宮社御神木奉賛会

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出石そば (出石皿そば)

過去数店まわり、今回はのどごし良くて汁の好みの 天通 さんに寄らせて頂きました。昼食には深い時間でしたが、偶然 天通ご主人とお近くの常連さまとで順番待ちの間にお話をさせて頂く機会に恵まれました。帰り際に、ご主人から「干し柿」まで頂戴しました。
おご馳走さまでした。

豊岡市出石町内町 

感応殿(兵庫県)
感応殿(兵庫県)
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感応殿の建物その他
感応殿の本殿
感応殿の歴史
感応殿の建物その他
感応殿(兵庫県)
感応殿の歴史
感応殿(兵庫県)
感応殿(兵庫県)

天通ご主人(右)とダンディー常連さま

感応殿の食事
感応殿の食事

一枚一枚に名所旧跡図柄が施され
食べた後も楽しめます
(各店オリジナル)

感応殿の建物その他

おりゅう灯籠

但馬信用金庫敷地内

感応殿の建物その他
感応殿の自然
感応殿(兵庫県)
感応殿の建物その他
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感応殿の景色
感応殿の建物その他
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三の丸跡
立派な出石役場と 辰鼓楼があります

感応殿の建物その他
感応殿(兵庫県)
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