いなりじんじゃ
稲荷神社のお参りの記録一覧
田園が広がる多可町中区糀屋。
とてものどかな時間が流れるところでしたが、耳を澄ますと遠くからエンジン音が。
近くにはセントラルサーキットというレース場がありました。
国道427号線を走っていると「糀屋稲荷神社」の看板が見えてきます。
その案内どおりに進むと鳥居前に到着。
鳥居の左手を進むと駐車スペースがあります。
参道はまっすぐ伸びており、参道の植栽はとてもきれいに手入れされていました。
随身門をくぐると開けた境内があり、立派な拝殿と本殿があり、賽銭箱にも立体的な彫刻が施されていました。
これだけ立派な神社なのに、これまでホトカミで投稿がなかったのは不思議なくらいでした。
拝殿での参拝を終え、本殿左手に進むと山を登る階段と鳥居があり、その先には奥ノ宮があるようでした。
どのくらい登るのかわからなかったためかなり躊躇しましたが、思い切って奥ノ宮を目指すことに。
トコトコ登っていくと思いのほかすぐに奥ノ宮に到着。
末社も多く、とてもすてきな神社でした。
御祭神 稲蒼魂命
<御由緒>兵庫県神社庁HPより
人皇33代推古天皇の創立。
天平時代、称徳天皇の崇敬厚く、慶雲3年(706)、社殿の建立となり、勅使を使わせられた。
天福2年(1234)代官中原氏より、また康永6年足利将軍より、灯油田の寄進あり。
慶長5年(1600)、姫路城主池田輝政公より田畑、境内山林を寄進。
寛永11年(1634)、姫路城主本多忠刻公のもとに嫁した千姫は、社堂建立し、安産を祈願するため詣で、督姫を出産。その姫は、備前国岡山城主池田光政公に嫁ぎ、懐胎するや再び当社に祈願し、出生されたのが、岡山城主池田綱政公である。
寛永14年(1637)社領寄進の神社としての折紙を賜わる。
千姫は、御神徳に感謝し、寛永20年(1643)、徳川将軍、池田備前守等一門の武運長久・延命・国家泰平と隆昌の祈願として、薩摩杉一式による護麻堂を奉納し、翌21年(1644)には社殿建立。
慶安2年(1649)、徳川将軍家光公を始め、歴代将軍より御朱印書が寄せられていたが、明治維新によりて上知となり、明治4年(1871)村社、明治30年(1897)県社となる。
まっすぐ伸びた参道
拝殿
賽銭箱の彫刻
本殿
東照宮社
大日堂
とここで、随身門方向を振り返って。
さてここから奥ノ宮を目指します
こちらが奥ノ宮です
奥ノ宮を過ぎ、ぐるっとまわって本殿に戻ります
庚申神社
春日神社
境内のすぐ南側には公園と池がありました
こちらは随身門脇にひっそりと佇む稲荷社
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