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いなりじんじゃ

稲荷神社のお参りの記録一覧
兵庫県 黒田庄駅

きどっち
きどっち
2024年06月14日(金)
1273投稿

田園が広がる多可町中区糀屋。
とてものどかな時間が流れるところでしたが、耳を澄ますと遠くからエンジン音が。
近くにはセントラルサーキットというレース場がありました。

国道427号線を走っていると「糀屋稲荷神社」の看板が見えてきます。
その案内どおりに進むと鳥居前に到着。
鳥居の左手を進むと駐車スペースがあります。

参道はまっすぐ伸びており、参道の植栽はとてもきれいに手入れされていました。
随身門をくぐると開けた境内があり、立派な拝殿と本殿があり、賽銭箱にも立体的な彫刻が施されていました。
これだけ立派な神社なのに、これまでホトカミで投稿がなかったのは不思議なくらいでした。

拝殿での参拝を終え、本殿左手に進むと山を登る階段と鳥居があり、その先には奥ノ宮があるようでした。
どのくらい登るのかわからなかったためかなり躊躇しましたが、思い切って奥ノ宮を目指すことに。
トコトコ登っていくと思いのほかすぐに奥ノ宮に到着。
末社も多く、とてもすてきな神社でした。

御祭神 稲蒼魂命

<御由緒>兵庫県神社庁HPより
人皇33代推古天皇の創立。
天平時代、称徳天皇の崇敬厚く、慶雲3年(706)、社殿の建立となり、勅使を使わせられた。
天福2年(1234)代官中原氏より、また康永6年足利将軍より、灯油田の寄進あり。
慶長5年(1600)、姫路城主池田輝政公より田畑、境内山林を寄進。
寛永11年(1634)、姫路城主本多忠刻公のもとに嫁した千姫は、社堂建立し、安産を祈願するため詣で、督姫を出産。その姫は、備前国岡山城主池田光政公に嫁ぎ、懐胎するや再び当社に祈願し、出生されたのが、岡山城主池田綱政公である。
寛永14年(1637)社領寄進の神社としての折紙を賜わる。
千姫は、御神徳に感謝し、寛永20年(1643)、徳川将軍、池田備前守等一門の武運長久・延命・国家泰平と隆昌の祈願として、薩摩杉一式による護麻堂を奉納し、翌21年(1644)には社殿建立。
慶安2年(1649)、徳川将軍家光公を始め、歴代将軍より御朱印書が寄せられていたが、明治維新によりて上知となり、明治4年(1871)村社、明治30年(1897)県社となる。

稲荷神社の鳥居
稲荷神社の鳥居
稲荷神社の歴史
稲荷神社の建物その他

まっすぐ伸びた参道

稲荷神社の建物その他
稲荷神社の山門
稲荷神社の手水
稲荷神社の山門
稲荷神社の狛犬
稲荷神社の狛犬
稲荷神社の本殿

拝殿

稲荷神社の本殿
稲荷神社の本殿
稲荷神社の芸術

賽銭箱の彫刻

稲荷神社の芸術
稲荷神社の芸術
稲荷神社の本殿

本殿

稲荷神社の末社

東照宮社

稲荷神社の建物その他

大日堂

稲荷神社の山門

とここで、随身門方向を振り返って。

稲荷神社の鳥居

さてここから奥ノ宮を目指します

稲荷神社の建物その他
稲荷神社の鳥居

こちらが奥ノ宮です

稲荷神社の末社
稲荷神社の芸術

奥ノ宮を過ぎ、ぐるっとまわって本殿に戻ります

稲荷神社の末社

庚申神社

稲荷神社の末社
稲荷神社の末社
稲荷神社の像
稲荷神社の末社

春日神社

稲荷神社の山門
稲荷神社の周辺

境内のすぐ南側には公園と池がありました

稲荷神社の末社

こちらは随身門脇にひっそりと佇む稲荷社

稲荷神社の建物その他
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