ひょうずじんじゃ
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兵主神社ではいただけません
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兵主神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年03月16日(水)
参拝:2022年3月吉日
兵庫県西脇市黒田庄町に鎮座する兵主神社です。
茅葺入母屋造の大きな拝殿の写真をネットで見て、いつかは参拝したいと思っていたので実際に拝殿の前に立って感無量でした。
この拝殿は兵庫県の重要文化財に指定されています。
とても立派な神社なのですが、普段は無人のようでした。
宝亀5年(774年)、播磨掾を拝した岡本修理太夫が当地に赴任し、延暦元年(782年)正月、当地付近の森地四町余りを開き神社の造営に着手。
延暦3年(784年)に現・奈良県の兵主神社を勧請したとのこと。
また織田信長の命を受けた羽柴秀吉が中国征伐の際、三木城主の別所長治を攻めますがなかなか苦戦していました。
兵主神は武神、軍神であることから、秀吉は黒田官兵衛に命じて奉納金と灯明田を寄進し、戦勝祈願を行ったそうです。
その奉納金により天正19年(1591年)、拝殿が改築されたとのこと。
茅葺入母屋造の大きな拝殿の写真をネットで見て、いつかは参拝したいと思っていたので実際に拝殿の前に立って感無量でした。
この拝殿は兵庫県の重要文化財に指定されています。
とても立派な神社なのですが、普段は無人のようでした。
宝亀5年(774年)、播磨掾を拝した岡本修理太夫が当地に赴任し、延暦元年(782年)正月、当地付近の森地四町余りを開き神社の造営に着手。
延暦3年(784年)に現・奈良県の兵主神社を勧請したとのこと。
また織田信長の命を受けた羽柴秀吉が中国征伐の際、三木城主の別所長治を攻めますがなかなか苦戦していました。
兵主神は武神、軍神であることから、秀吉は黒田官兵衛に命じて奉納金と灯明田を寄進し、戦勝祈願を行ったそうです。
その奉納金により天正19年(1591年)、拝殿が改築されたとのこと。
JR加古川線の踏切越しに一の鳥居
社号標と灯籠
二の鳥居 そして 随神門
手水舎
牛さん
実物の牛と同じくらい大きかったです
実物の牛と同じくらい大きかったです
拝殿
拝殿内
奥に見えているのは幣殿
奥に見えているのは幣殿
拝殿 横から
本殿
本殿の彫刻
本殿後方の木鼻
厳島神社
金刀比羅神社
相殿 祇園大神、迦遇突智大神、火蘭大神、雨森大神
相殿 祇園大神、迦遇突智大神、火蘭大神、雨森大神
神明神社
相殿 天満大神、春日大神、八幡大神、高良大神
相殿 天満大神、春日大神、八幡大神、高良大神
すてき
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