こにやかんのん
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小新屋観音ではいただけません
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小新屋観音のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年07月10日(月)
参拝:2023年6月吉日
石金山 小新屋観音(こにやかんのん)
丹波もみじめぐり十ヶ寺の一つです。
石金山の麓にある小さなお寺になります。
普段はどうも無人のようで、石金山の登山口でもあることから、こちらに車を停めてお参りしてから登山される方も多いようでした。
御朱印は本堂前に書置きが置かれていました。
御本尊 十一面千手観音
こちらの観音様は、手足の病気回復に霊験あらたかで、お参りされる方も絶えないとか。
~以下、丹波もみじめぐり十ヶ寺パンフレットより~
石金山登山口にある小新屋観音は、永世7年(1510)、岩尾城主和田斉頼が、千手観音の霊夢に導かれて本堂を建立し、祈願所として厚く崇拝したと言われています。
寛永7年(1630)消失したのを円満寺の明覚院が再興し、以来、石金山常勝寺と称しました。
足の病気にご利益があると云われています。
境内には観音様が乗って和田斉頼の霊夢に現れたという石船が安置してあります。
岩尾城は、蛇山の山頂にあり和田斉頼が永世13年(1516)に築城したと伝えられています。
その後、明智光秀での丹波攻めによって天正7年(1579)に落城しました。
岩尾城は中世と近世の山城が混在したまま残る大変貴重な城跡で県指定文化財(史跡)となっています。
丹波もみじめぐり十ヶ寺の一つです。
石金山の麓にある小さなお寺になります。
普段はどうも無人のようで、石金山の登山口でもあることから、こちらに車を停めてお参りしてから登山される方も多いようでした。
御朱印は本堂前に書置きが置かれていました。
御本尊 十一面千手観音
こちらの観音様は、手足の病気回復に霊験あらたかで、お参りされる方も絶えないとか。
~以下、丹波もみじめぐり十ヶ寺パンフレットより~
石金山登山口にある小新屋観音は、永世7年(1510)、岩尾城主和田斉頼が、千手観音の霊夢に導かれて本堂を建立し、祈願所として厚く崇拝したと言われています。
寛永7年(1630)消失したのを円満寺の明覚院が再興し、以来、石金山常勝寺と称しました。
足の病気にご利益があると云われています。
境内には観音様が乗って和田斉頼の霊夢に現れたという石船が安置してあります。
岩尾城は、蛇山の山頂にあり和田斉頼が永世13年(1516)に築城したと伝えられています。
その後、明智光秀での丹波攻めによって天正7年(1579)に落城しました。
岩尾城は中世と近世の山城が混在したまま残る大変貴重な城跡で県指定文化財(史跡)となっています。
青もみじがとてもきれいです。
この手前にかかる橋は「もみじばし」
この手前にかかる橋は「もみじばし」
本堂
こちらが石船でしょうか
本堂横には手押し車があり、何やら説明が書かれていました。
「大正12年京都梅ヶ畑一ノ瀬村より足に障害をもつ娘を手押し車に乗せた父娘がこの里を訪れ、観音堂を尋ねました。 村人は観音様のいわれを話したところ父娘は籠り堂に籠もり日夜祈りに身を捧げ一カ月程経ったある日お堂前の桜の木につかまりながらも歩けるようになり、父娘は観音様のおかげと涙して喜び合い日毎に快方に向かいました。 帰路につく際、この手押し車を奉納したものです。」
「大正12年京都梅ヶ畑一ノ瀬村より足に障害をもつ娘を手押し車に乗せた父娘がこの里を訪れ、観音堂を尋ねました。 村人は観音様のいわれを話したところ父娘は籠り堂に籠もり日夜祈りに身を捧げ一カ月程経ったある日お堂前の桜の木につかまりながらも歩けるようになり、父娘は観音様のおかげと涙して喜び合い日毎に快方に向かいました。 帰路につく際、この手押し車を奉納したものです。」
こちらは耳の神
行場
すてき
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