おぎはらじんじゃ
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乎疑原神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月04日(日)
参拝:2022年11月吉日
加西市繁昌町の工業団地の南側に位置する乎疑原神社(おぎはらじんじゃ)。
カーナビの指示どおり訪れてみると、工業団地を通って乎疑原神社境内の西側に到着しました。
これが正解だったようで、そこには車を何台か停めるスペースがあります。
ただ鳥居は東側にあったため、一旦境内を通り抜けて鳥居をくぐり直して再び境内へ。
まず鳥居をくぐらないと落ち着かないんですよね😅
祭神 大国主命 小彦名命 菅原道真命
創立年は不詳。
ここから西に約1kmちょっとの豊倉町にも乎疑原神社がありますが、もともとはこちらに鎮座していたのを現在地である繁昌町に遷座したとも言われているそうです。
また当初「天神宮」と称されていたようで、天津神を祀る天神宮でしたが、菅原道真公が左遷の際に当社の別当寺である百代寺の僧・隆全を訪れたとのこと。
その後、天神信仰と混同して菅原道真を祭神として祀るようになったそうです。
この辺りは播磨国風土記のゆかりの地とされ、12の里のうちの川合里とされています。
現在小野市に「河合地区」が残されているそうですが、中世期の記録には西河合郷と東河合郷があり、ここは西河合郷にあたるのだそうです。
さらにこのすぐ東側には白鳳時代の寺院「繁昌廃寺」があったそうで、南北の門と塔、金堂、講堂などが発見され、すぐ近くを流れる普光寺川からは白鳳時代の造立と考えられる石仏(石造五尊像)も発見されました。
こちらは現在、奈良国立博物館に保管されているそうです。
ちなみに鳥居横にも石造五尊像がありました。
カーナビの指示どおり訪れてみると、工業団地を通って乎疑原神社境内の西側に到着しました。
これが正解だったようで、そこには車を何台か停めるスペースがあります。
ただ鳥居は東側にあったため、一旦境内を通り抜けて鳥居をくぐり直して再び境内へ。
まず鳥居をくぐらないと落ち着かないんですよね😅
祭神 大国主命 小彦名命 菅原道真命
創立年は不詳。
ここから西に約1kmちょっとの豊倉町にも乎疑原神社がありますが、もともとはこちらに鎮座していたのを現在地である繁昌町に遷座したとも言われているそうです。
また当初「天神宮」と称されていたようで、天津神を祀る天神宮でしたが、菅原道真公が左遷の際に当社の別当寺である百代寺の僧・隆全を訪れたとのこと。
その後、天神信仰と混同して菅原道真を祭神として祀るようになったそうです。
この辺りは播磨国風土記のゆかりの地とされ、12の里のうちの川合里とされています。
現在小野市に「河合地区」が残されているそうですが、中世期の記録には西河合郷と東河合郷があり、ここは西河合郷にあたるのだそうです。
さらにこのすぐ東側には白鳳時代の寺院「繁昌廃寺」があったそうで、南北の門と塔、金堂、講堂などが発見され、すぐ近くを流れる普光寺川からは白鳳時代の造立と考えられる石仏(石造五尊像)も発見されました。
こちらは現在、奈良国立博物館に保管されているそうです。
ちなみに鳥居横にも石造五尊像がありました。
鳥居
室町時代の作とされ、市の文化財に指定されています
室町時代の作とされ、市の文化財に指定されています
鳥居の左側に小さな祠があり、石造五尊像がありました。
参道の坂を上ると拝殿が見えてきます
拝殿
明治24年に建替え
明治24年に建替え
拝殿内部
拝殿の右側(北側)にまわってみると本殿が見えました
本殿の北側にはいくつか境内社があります。
おそらく八幡神社、若宮社、三宝荒神などではないかと。
あまり近付くのも憚られたのできちんとは確認できていません。
おそらく八幡神社、若宮社、三宝荒神などではないかと。
あまり近付くのも憚られたのできちんとは確認できていません。
本殿後方
本殿の南側の境内社
稲荷神社、三輪社、新宮社だと思われます
稲荷神社、三輪社、新宮社だと思われます
南側から見た本殿
手水
拝殿の屋根を横から
乎疑原神社の鐘楼
大永6年(1526年)、増位山随願寺から譲り受けたものだそうです
大永6年(1526年)、増位山随願寺から譲り受けたものだそうです
すてき
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