曹洞宗
阿弥陀寺のお参りの記録一覧
無量山 阿弥陀寺
~隠岐浪漫💜阿古那地蔵が加西へ~
腮無地蔵菩薩
山号 無量山
宗派 曹洞宗
御本尊 釈迦如来
西国御本尊
無量寿観世音菩薩
開基 元禄七年(1694)
赤松本宣公
札所
加西西国 第二十五番
御詠歌
あら尊と 恵みを垂るる 御仏の
誓い絶えせぬ 笠原の寺
当寺は、元禄七年(1694)赤松本宣公の開基で、宝暦年(1751~)に当寺三世金明和尚が、
地元の人々と協力し、寺録・檀家の様式を備え、寬政10年(1798)に完全な寺格を得ることになったと伝えられています。
山門は、下部を白塗りした竜宮門と呼ばれるもので、当地では珍しい山門です。
御本堂は、昭和7年(1932)に建立されたもので、御本堂前には曹洞宗の開祖・道元禅師の坐像があります。
山門前の一角には「あごなし地蔵」と呼ばれる石仏があります。
明治の初め、当村の平七という人が隠岐島より受けてきました。
✴あごなし地蔵(腮無地蔵菩薩)✴
西郷地区から八尾川(やびがわ)に沿って上流に行くと、都万目地区がある。ここには古くから歯痛に効験があると信仰されている木像のあごなし地蔵が祀られている。この地蔵を刻(きざ)んだのは、隠岐へ配流された小野篁(おののたかむら)であるという。 都人の篁は、村の娘阿古那(あこな)と恋におちたが、赦免の日が来て都へ帰ることになった。別れを嘆き悲しむ阿古那のために、篁は自ら自分の身がわりにと、木像の地蔵を刻んだ。その地蔵を阿古那に与えて隠岐を離れたのである。いつしか阿古那地蔵があごなし地蔵と転訛し、さらに歯痛に効くとの信仰になっていったという。 篁と阿古那と地蔵にまつわる伝説は話をかえて、さまざまな物語になって伝えられている。
~しまね観光ナビ より~
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加西市笠原町798
🌀🌀🌀🌀🌀🌀
腮無地蔵菩薩
腮無地蔵尊由来
やっぱりお地蔵尊の🌀🌀はわかれへんけど💚かわいかったです
曹洞宗 無量山 阿弥陀寺
周りには田畑も多く、とても静かなところでした。
境内はとても綺麗にされており、本堂右手前の高祖道元禅師坐禅像が印象的でした。
坐禅像の台座側面には「尊いいのち たいせつに」と書かれています。
山門の手前左側には腮無(あごなし)地蔵尊が祀られています。
腮無地蔵の由来について
仁明天皇の御代、承和5年(838年)に小野篁朝臣が隠岐に流されました。
このとき徳兵衛という郷土の者が篁の世話をしていたのですが、その妻が頭痛を病み7年間病床に伏した末亡くなります。
篁は不憫に思い、自らの手で地蔵尊を刻み、徳兵衛に墓印にせよと授け、徳兵衛は喜んで墓印を安置し堂を建てました。
この地蔵尊は首から上の病気に霊験があったそうです。
明治になり佐伯平七という人物が長年歯痛に苦しんでいて、この地蔵尊に祈願したところ全快したため、この霊験を分かち合おうと当村内に拝請して安置したそうです。
山門
本堂
高祖道元禅師坐禅像
おそらくこちらが腮無地蔵尊ではないかと思われます😅
間違っていたらすみません
お寺の近くにあった植物
ヨウシュヤマゴボウという植物らしいのですが、調べてみると実と根に毒があるそうで死の危険もあるようなのでご注意ください!
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